みなさんこんにちは。ナビゲートのソウダです。 4月の桜が満開の日に、親しくさせてもらっている方からのご縁をいただき、英彦山(ひこさん)の麓にある宿坊・守静坊(しゅじょうぼう)を訪れました。 「宿坊(しゅくぼう)?」と聞いて、最初に思い浮かんだのは修行僧が寝泊まりする場所、という程度のイメージでした。でも、すすめてもらったこともあり、私も興味津々で参加させてもらうことに。 福岡県と大分県の境目に位置する英彦山は、奈良県の大峰山(おおみねさん)、山形県の出羽三山(でわさんざん)と並ぶ、日本三大修験道の霊場のひとつとされ、かつては九州最大の修験道の拠点だったそうです。 “修験道(しゅげんどう)”という耳慣れない言葉ですが、これは山に入り、自然と一体となって心身を鍛え、整え、悟りや霊力を得ようとする日本独自の修行の道を指すようです。神道・仏教・道教が融合した“山の宗教”とも言えるかもしれません。そこでは、山伏(やまぶし)と呼ばれる行者たちが、自然との関わりを通じて祈りや癒しを実践してきたという歴史があります。 (私は、「さ〜て、そろそろ山で修行したいなあ」と思っていたわけではありませんが……。でも、どこかの感覚が反応したのでしょう。道中からずっとワクワクしていました。) 身体感覚でよみがえる「場に身をゆだねる大切さ」 この場所での体験は、頭で思い出すというよりも、身体感覚としていろいろなものを呼び起こしてくれました。身体全体が「今はとても大切なひとときを過ごしているよ」と優しく語りかけてくれているようでした。 到着後、駐車場から宿坊まで山道を歩いて進みます。至る所に石垣が残り、かつてこの土地にどれほど多くの“坊”があったのかを物語っていました。明治期の神仏分離(神仏毀釈)によりその多くは廃れ、今では残るのはわずか2つ。その一つが守静坊です。 まず最初にいただいたのは、時間をかけて丁寧に手づくりされたこんにゃくと、あたたかいお茶。4月といえど、山の中の静かな環境でいただく飲み物は身に染みました。そして、目の前には、まさにこの日が満開だった桜。言葉が出ないほどの美しさでした。燦然と、惜しみなく、親しみと暖かさを感じる日本の象徴に、自分が日本人であることにありがたさを感じました。花を見ても、枝を見ても、幹をみてもどれもが自然の中で黙々と雄大に育っている春風に揺れる桜は見事以外の言葉が見つかりません。 先祖供養から食の作法まで、暮らしの祈りを味わう 最初の行(ぎょう)は先祖供養でした。亡くなった方を思い起こすこと自体が供養になると教わり、これまでご縁のあった人たち一人ひとりの名前を白紙に書き綴っていきました。スタジオで出会った方々の名も思い浮かべながら、書きながら、読み上げながら、自然と心の整理が進んでいった気がします。 桜の香りがするお香が焚かれ、円卓で正座しながら、主(あるじ)の導きで皆で般若心経を唱える。まさにかけがえのない時間でした。 続いての作務(さむ)=掃除も、単なる掃除ではありませんでした。動作の一つひとつが静かに心を整えてくれる。まるで瞑想のような感覚がありました。 その後いただいたお風呂も格別。英彦山は“水の神”でもあるとのことで、澄んだ水に身を沈めたとき、水と身体との境界がとろけていくような透明な感覚に包まれました。 人間の体は水でできている——そんな当たり前のことが、体感として迫ってきます。 湯上がりには、銅製のシンギングボウルを頭の上に乗せてもらい、432Hzの音色に包まれました。その音と振動が、細胞の一つひとつを響かせてくれました。 “澄む”といえば、宿坊の玄関にはさまざまな種類の炭が敷き詰められており、「炭(すみ)は“澄む(すむ)”ためのものなんですよ」というお話も興味深かったです。炭を収集しているほどの炭マニアとのこと。世の中には本当にいろんな方がいらっしゃいます(笑)。 食べることで自分を感じる そして、"待ちに待った夕食"と言いたいところですが、この時間は極々自然とその時間がやってきて、とても滑らかな"時間の経過の中にただあるだけ"でした。私はそこでの“食の作法”に驚かされました。 「現代人は、味を目でとらえすぐに口にしてしまう。だからまず、唾液を分泌させてから食べましょう」と教わり、試してみることに。 汁物に入っていた大きめのしめじをそっと舌の上に置いてそのまま1分ほど待つ。じわっと唾液が出てくるのを感じてから噛んでみると..驚くほど深い味わいが広がりました。 備長炭で炙られたきのこ、そらまめ、山芋、しいたけ、わらび、鶏肉などの食材はどれも、味付け不要の力強さ。さらに、囲炉裏で遠火にかけられた日本酒のまろやかさといったらこらまあ〜。 満開の桜がライトアップされ、借景の中で語らいながら、時には沈黙を分かち合いながら、豊かさに満ちた食のひとときを味わいました。 「花より団子」ではなく、「花も団子も」。その言葉がぴったりの夜でした。 朝のしじまに染み渡る朝食と振り返り 翌朝、住職の野見山さんは早くから起きて、温かい朝食を用意してくださっていました。 朝食は野菜と麺のやさしい一膳。ゆっくり、じっくり。ひとつひとつの所作に心がこもっていて、「食べる」ということの幸福さを思い出させてくれました。 食後は、2日間の体験を丁寧に振り返る時間。 「暮らしの中に“体験”という場がある」——その設計が、意図されつつも無意図であるような静かな力を持っていて、とても印象的でした。 私たちは、本来すでに“よく生きる術”を知っている。けれど、効率化の渦の中で、そのことを忘れてしまっている。だからこそ、こうした場で、時間をかけて、体験として思い出すことが大切なのだと思いました。効率と非効率の中道に立つ。行ったり来たりを意識してみたいものです。 最後に、法螺貝の音に見送られながら宿坊を後にしました。 またどこかで、この静けさに出会える気がしています。 (法螺貝ふきたいなぁ〜) (なんと、翌日の長崎県壱岐島にて---この英彦山に訪れていた人と偶然にも出会い、再び、何かが静かに動き出している気配を感じる..つづく)
Navigate 早田 |
Author Wataru Soda Archives
4月 2025
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