午後にはエッフェル塔とルーヴル美術館を訪れた。と入ってもどちらも目の前通り過ぎただけである。理由はシンプルでもう大満足してしまったからだ。
その前に訪れたオルセー美術館の建物のつくりと作品に気持ちがお腹いっぱいとなってしまった。なんでもほどほどにということで早い段階でホテルへ戻り、持参していた本: MARC B. AIXALAのPSYCHEDELIC INTEGRATIONを読み始めた。このサイケデリクス分野の探求を進める中で、これが自分が突き詰めたい道だと日々手応えを感じている。自己実現や自己超越とはなんぞや。それをどう理解し、どう到達できるのか。そのあたりに兼ねてから興味があったことを思い出した。しかし、これまでの自分は頭の中が混沌としており、それを整理してくれる言葉と出会えていなかった。そして学問にも。または、来るべきときにきてくれたという表現の方が正しいかもしれない。今では理解できている気がする。 旅はいつも自分を省みる機会をくれる。そして、絵画もまたそうかもしれない。オルセー美術館にはゴッホのデッサンが多く並べられてあり、ローヌ川の星月夜が印象的であり、目に焼きついた。明日オランダ入りとなるが、間違いなくゴッホ美術館に行こう。そう思った。 一夜明け、翌朝は同じく日の出を長く待ちながら読書を進めた。昨日、私が部屋を後にする場面で、ちょうど部屋へ清掃の方が入るタイミングがあった。すれ違いざまに、コーヒーをもうちょっと多めにくれない?と相談してみると、好きな数を言ってくれと言われて、私はエスプレッソダブルを2回と、ロングブラック2回を飲むことを想像して6つと伝えた。通常は4つ置かれているので、2つ多めに求めたかたちだったが、さらに気を利かせて計8つもくれた。帰ってくるのが楽しみだと思っていたそのコーヒーを、飲みながら読書を続けた。 また、あとからわかったことだが、そのホテルのロビーではコーヒーやら軽食やらフルーツが自由にサーブされていた。それに気づいた時点ではもう必要がなかったので、水だけもらうことにした。 読書の後、夜明けと共に外出し、もう一度セーヌ川を歩いておきたいと思った。今日は午後からロッテルダムいきの列車に乗るため、午前しか活動できるタイミングがないのだ。列車の予約は日本にいる段階で済ませておいたのでホテル近くの駅から出発する便に乗るだけであった。 もうランニングしていくような気持ちではなく、のんびり歩いて行こうと思ったが、歩くにしては、そこまでの時間の余裕もないことを思い直し、地下鉄に乗った。外ではWi-Fiが繋がっていない状態だが、パリの地下鉄はネットで調べなくても直感的にどれにのればいいかがわかる。ホテルではもちろんWi-Fiがあるので、到着予定の近くの駅の名前を覚えればなんとかなる。 そして、今回の目的地、セーヌ川沿いに見えてくるノートルダム大聖堂に到着したのだが、思わず目を疑った。なんと改修中であった。それも大規模の。外観は一部覆われていたが、この地に多くの人が信仰を求めて訪れたということを想像するだけで、ここでも大満足であった。その後、近くのカフェを訪れた。 パン屋とコーヒーショップが一緒になったようなところで、立派なエスプレッソマシンがあった。いつもは午後にラテを飲みたくなるが、ここではホットのラテを選んだ。時刻は午前10時。カップが思ったより小さかったので、グランデサイズにできますかと聞くとジャストワンサイズと言われたので、まあいいかということでそれをお願いした。そして、レジの近くに置かれていた私のイメージしていた外がバリバリになってくれているクロワッサンがいたのでそちらもオーダーした。 2つで4.5ユーロというので5ユーロを出した。すると、愛想のいい女性の店員さんが、失笑しながらここはイギリスじゃないよと軽いジョークを言ってくれた。はじめ、なんのことかと思ったが、私が出したものはイギリス紙幣だった。自宅から持ってきたお金の中に2つの紙幣が紛れ込んでいたのだ。パリでツッコミをもらえたのはきっと忘れないだろう。笑顔で手際よく、はいはい5ユーロね、と言ったのちに、ここはイギリスじゃねーよ。のテンポで返されたので、私はこれをパリツッコミと名付けることにした。ちょっとシンプルすぎるかもしれない。 そんなパリツッコミを頂戴した後、手拭きのペーパーや砂糖、クリームなどはこちらから自由に使ってねと声掛けを受けて会釈をしてテラスに向かった。 ここでジャストワンサイズのラテとクロワッサンをいただくことに。そのときにふと大分の愛すべきコーヒーショップとそのオーナーの方を思い出した。尊敬するそのバリスタかつ焙煎士の方から、コーヒーの味は減点方式なんだと聞いたことがある。生産の段階を100とすると精製や焙煎、ドリップの時点で少しずつ、ときには大幅に本来有している味が落ちてしまうと。なるほどと感嘆したことを今でも覚えている。 そんなことを思いながら、こちらパリのセーヌ川沿いの店内を見回してみた。床にはモノクロのタイルが敷かれており綺麗に磨かれている。壁面上部1/4は特定ができないユリのような白い花と、オレンジ色のつぼみをもった植物が描かれている壁紙が貼られていた。壁面上部の2/4には緑色のタイルが貼られていた。そして、その下半分は鏡となっていた。天井から吊るされた丸い暖色系の光をゆるやかに放つライトは、緑のタイルと鏡、そして床面に美しく反射している。鏡が互いに向き合っている箇所があり、ライトがいくつにも重なって映し出されていた。そのせいか、遠くに吸い込まれるような不思議な奥行きが店内の雰囲気として品良く溢れ出ていた。 自分が旅にきていると思うと、その感覚が一層深まった。遠くの世界に吸い込まれる感覚。 ここで、おや、加点方式の部分もあるのではないかと思った。その要素とは、店内での簡単なやり取りと、ちょとした気遣い。そして軽いギャグ。その大分のお店はどれも十分過ぎるほどに満たしていた。世界共通かもしれない。 今回偶然にも訪れた、1892年にできたMAISON Richardという名前も忘れることはないだろう。その老舗感らしからぬ最新式のマシンのギャップにもやられた。音楽はなぜか1980年代調のソウルミュージックだったことだけは気がかりだったが、これもありかもしれないと思わされた。さて、メトロに乗ってホテルまでいこう。 現在: Notre-Dame de Paris / MAISON RICHARD |
Author Wataru Soda Archives
12月 2024
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