アムステルダムの朝を迎えている。朝の7:08であるが、ここでも太陽はまだ登っていない。きっとあと1時間ほどなのだろう。
昨日はホテルチェックインに合わせてフローニンゲンからロッテルダムに入り、ホテルでは一息つきながら、友人と電話をして旅の思い出を振り返り共有した。そして、アムステルダム中央駅にむかって歩いて外に出た。 今回の最大のお目当てのゴッホ美術館は残念ながら事前予約が必要であって、私の滞在時の分はすでに売り切れとなっていた。中でも「ローヌ川の星月夜」の作品を一度見ておきたいと思っていたが、まあ仕方がない。こういうことがあると、またこの街に吸引されるように、いつかまた行こうと思えるから。美術館のエントランスの前に、屋台のような出店があって、そこで縦300mm横450mmのミニポスターのようなものを購入した。とても分厚い厚紙にプリントしてあると表現すればよいだろうか。 さて、そんな「ローヌ川の星月夜」の収蔵場はなんと、パリのオルセー美術館だということも今分かった。美術館に対して何のスキルもなくただの好奇心で赴く人は、ゴッホの作品なのだから、ゴッホ美術館にあると思い込んでしまった。それにしても、オルセー美術館をなんと適当に見ていたことか。ついこの間ぷらぷらと訪れたではないか。今思い出したが、そういえば、特別展示が1F奥の部屋で開催されていて、長蛇の列をなしていたが、あれだったのか。美術館めぐりとはこんなに難易度が高いものか。 「ローヌ川の星月夜」について簡単にネットサーフィンを試みたのだが、この絵に対して驚きの調査がなされていた。この作品の中に出てくる星は本当に見えているのだろうか?と。面白い視点を持った人がいた。ほほうと、興味深く眺めていると、この時期、この場所で描かれている星は、本当はない。見えていないはずだという。天文学を駆使して星の動きを観測すると、そのような配列になっていないとまで記述があった。1つずつの星の名前まで振っているから入念な調査がなされたのであろう。しかし、ゴッホが見えた、ゴッホが表現したかったとすればそれだけでいいような気もするが。これも私の一意見であり、そちらも一意見。どちらも主張したいことがあるのだ。みんなそれぞれ言いたいことが様々にある。 しかし、ゴッホがあの絵を描いた心情に想いを馳せると、繰り返しの意見になるが、見えていたのだと思う。または、見たことがある世界をもう一度描いて、表現をしたかったのかもしれない。いつでもその見えていた景色と繋がっていることを実感したかったのではないか。それは、心細い感情とも形容できると思う。そこを描いて埋め合わせをするような。だから溢れる思いでそう表現したい。きっと絵画を通して、見たことのある、あるいは見ようとしていた世界を味わいたかったのだろう。絵画はその窓口になる。25歳まで牧師を目指していたというからなんだかまた理解ができるような気がする。しかし、これも私の一意見であり、ゴッホさんに聞かないとわからない。だからいつまでも考えられる。 “I dream my painting and I paint my dream.” “私は絵を描く夢を見る、そして、夢を描く” ― Vincent Willem van Gogh |
Author Wataru Soda Archives
12月 2024
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