みなさんこんにちは。ナビゲートのソウダです。 唐突なお話になってしまいますが、私は今、ひとときの時間を長崎県の壱岐の島で暮らしています。ここでの生活は自然が身近、というよりも自然そのものであり、風の強さと波の高さなどによっても生活が規定されるほどです。と言いますのも、壱岐ー博多港を繋ぐジェットフォイルでは、海面が荒れると船が出航されず、そうなれば島外に出ることも難しいのです。一方、壱岐ー長崎空港をつなぐ航空路もありますが、こちらも同様に風の強さによって影響を受けやすい状況です。 さて、そんな島での暮らしですが、大分、博多、大阪、東京などでの仕事や勉強、ミーティングに行くためにはそれらの交通手段が欠かせないものとなります。いくら時代がオンラインだったとしてもリアルでの対話や時間の共有、さらには2Dでは感じられない暗黙知のようなものがそこには多くありますので、それらを体感するには、その場への参加が大事なように思います。そういうことで、これまでの人生では手にすることがなかった風速計のアプリをダウンロードして、風の強さと方角に敏感になり、出航されるのかどうかを気にする日々を送っています。 そんな壱岐における食生活は、食材の豊かさは抜群!という形容がふさわしく、旬の野菜と魚のおいしさには感動しっぱなしです。近頃では”つぼみな”という野菜を口にしたのですが、茎の白い色と葉の鮮やかな若い緑色が綺麗で、初春を感じるさわやかな味でした。また、どこのスーパーに出向いても、鮮魚コーナーは朝どれの丸々と太ったアジやサバがずらりと並び賑わっており、それを刺身にしたり、焼いたりと魚好きにはたまらない生活です。 さてさて、話をもう一度戻すと、そうした風や天気などからの制約を受けてしまう生活、と一瞬は感じるものの、そう思うのはただのこちらの都合であって、人間中心に生きてしまったなと反省をするのです。天候による心地よい拘束は、自分を今一度自然に還らせてくれる存在だと感じています。自分でコントロールできると思うことが甚だ勘違いであったと説教をされているようにも思うのです。自然というフィールドに生きている私たちは、やはり自然に即したマインドと行動をもつべきで、その方が人間としても”自然”だと実感しています。 そう思っていた矢先、自室の部屋から見える桜の木からもこれに似たことを教えてもらうことがありました。この木もまた、自然の中に身を置いている一人です。日本では四季があるように、花は咲きたいタイミングで咲くというよりも、待つ時は待ち、咲くべき時に咲いているということを心に刻んでいると思うのです。これを人間に当てはめて考えた時に、年がら年中、夏のような勢いとダイナミックな成長を成し遂げようとすると、それはどこかで無理がくるようにも思いますし、パッとしない成長なのではないかとも感じます。 今、どんな時期に差し掛かっているのか(冬: 冬眠期、春: 開花期、夏: 成長期、秋: 結実期)を考えることは、多くの場面でも大事なポイントのように思えました。 2024/03/06, 長崎県壱岐市 |
Author Wataru Soda Archives
1月 2025
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