対人支援にしろ、自己研鑽にしろ、私たちは自他ともになんらかの目標を掲げて、またはそれになることを見据えて日々を過ごしていくことが多い。その時に、将来の目標を達成したことを夢想しながら、自らの心に火を灯したり、まだ見えていない景色を描写して他者をモチベートしようとするが、それが現在地と目標地点の2拠点からの発信でないとうまくいかないことがある。
目標地点と現在地点のギャップを埋めるための行動ばかりに焦点化することは現実じみた話に傾倒してしまうが、目標地点から見える景色ばかりを伝えても単なる想像に過ぎないと思えてしまう。あるいは、それはあなただからできるのよと話が着地してしまう。 いずれも、何らかの目標を掲げているひとでないと成立しない話ではあるが、留学を例にすると、留学を検討している人を前にして、試験、費用、移住、仕事など、確かに乗りこなさないといけない話ではあるが、それのみをこなすことを後押ししたとしても、響かないことが多いのではないだろうか。まずは、異国の地に足を踏み入れ、そこでの風を浴び、興奮と不安との感情を存分に味わえることを期待してもらえることを共有することが先決だと思う。好奇心を掻き立て、留学というアンテナを立ち上げ、電波をキャッチできる状態にすることが、建設的なアプローチだと思うのだ。 そのほかの例としても、パーソナルトレーナーであれば、クライアントから目標をヒアリングしてすぐに行動に移そうと意気込んてしまえば、それはあっという間に失敗してしまう。初手として大事なことは、まずはそれが達成できたことを(願わくば同じ景色を見ていたい)想像してもらうことだ。それも手を抜かず、ないがしろにせずに、ありありと鮮明に。そして、その時にこう聞くべきである。「それが達成した時、どんな気持ちになっていますか?」と。本当にそれが実現したことを寸分の疑いもなく、細胞レベルで感じてもらったあとは、「その感情は、あなたがこれから忘れてはならない気持ちです。目標達成までの期間、辛くなったり、自分を信じれなくなったり、あるいは、この目標を諦めるべき正当(そう)に思える理由を見つけてしまったときにいつでも思い出すべき感情であり、それはあなたの心に注ぐ最高の栄養となるのです。」これが整ったら、ほぼ達成である。 さて、またはクライアントを見極めて、「あえて、アクションプランを提案する場合」もあるであろう。これには以下2パターンがある。 1つは、遠い景色、山の頂上からの景色を想像してもらうことなしに、山登りを始めていくパターンだ。どこに登るのか登っている方もよくわからないが、「何か登り始めたい」という思いで溢れている状態である。これはある種、まずは始めることができたという成功体験を積みたいとも捉えることができる。または、次に控えている大いなる目標に向けた、経験を蓄えている時期である。結局のところ、ここでは真の目標の設定や、その達成の現実度合いよりも、ひとまずは小さな達成感を味わって頂くという姿勢が求められる。そちらの方が、(長い時間を共有できるという前提ではあるが)次の大きなステップを力強く踏み締めることができる。 他方、もう1つのパターンは、今掲げている目標はもうこれまでも十分に検討してきたものであり、機が熟しに熟しているというパターンである。その場合、あえてアクションプランを提案することもある。それが本当にそのクライアントが望む目標であった場合、そのようなアプローチでうまくいく人は、そもそもそのトレーナーのスキル云々ではなくても成功する。さらに言えば、「情報だけ」でうまくいく。何をアクションとすれば成功できるかどうかの”技術的な課題”、あるいは”情報”をキャッチするだけで良い(そこにも何の情報をキャッチすれば良いかどうかのリテラシーが涵養されていることが条件にはなるが)。ここでは、やる気はあるがやり方がわからないという空回りを未然に防ぐような、考え抜かれたプランが肝要となる。 さて、トレーナーの醍醐味としてはどのパターンでも自分の技量と器を反映できるとても前のめりの状況ではあるのだが、ここ最近の個人的嗜好であれば、「最高に時間を要することになると分かりながら、その向き合っていく過程をどれほど豊かな時間と思えるかどうか」の”関わり合いそのもの”を好物としている自分がいる。 もう一度話を戻せば、「まずは一歩目を」というクライアントの感情は、自分自身が本当にそれを実現したいのかわからないけれど、何かアクションせずにはいられないことや、ひとまずの目標と定めて様子を伺いながら”一歩踏み出したい”と思っている。 もしかすると、その時に、これではなかなか結果が出ないのではないか?と支援者側は思ってしまう(以前の私はそうであった)。結果を出さないとモチベーションも上げることができずに離脱してしまうと。断言できるがそれは違うとあの時の自分に言い聞かせたい。疑うんじゃない。信じきれと。結果を重視し、結果を褒め、結果を最大の価値としてしまうトレーナーは大きな過ちを起こしていることになる。あるいは、結果こそが全てと思っていると、(結果を出すことが、自分を認めることができる唯一の指標であると思っている)クライアントと共倒れしてしまう。大事なことは結果ではないからだ。「結果が出るプロセスを育てていくマインドにセットアップしていくことが本質的である。」 さて、そうは分かってはいるけど、一緒に海に飛び込むことができるかどうかが、トレーナーとしては大事なように思える。すると、クライアントとしては、また別のフェーズに移ったときに、あのときトレーナーは私を信じてくれた。そう思ってもらえるかもしれない。その一巡した後の「伴走」が、とても力強いものになる。じたばたする期間は人それぞれであるし、じたばたしてもらうことが、土台固めの大切な期間となる。それをトレーナーは楽しめるかどうか。一緒にその場足踏みをしてその時間も大切に味わえるかどうか。色々あったけど、私たち、一緒に頑張ってきましたよねと。結果ではなく経過。一回で決めようとせずに、とても用心深く見極めて、しかし同時に、捨て身の気持ちも持ち合わせて。しかし、起き上がり方はその場の即興であるが(それができる自分であるとも信じて)、それに委ねるという表現が適切かもしれないが、徹底的に攻めている状態でもある。 2023/11/21 Navigate 早田航 |
Author Wataru Soda Archives
11月 2024
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