-現在時刻は5:38。パリの夜が明けるまではまだ時間がありそうだ。日の出が8:02のようなので、こちらの朝は時間がゆっくりと流れていく-
さて、羽田を飛び立った飛行機も、今ではカナダ上空まできている。およそ14時間半のフライト時間ものこすところ5時間ときている。この時間は、機内のTVモニターでフライト情報を参照するところがあるので、そこ画面を通して知ったのだが、私が想像しているものとは異なることが一点あった。それは、日本から西にむかってパリを目指すものかと思ったが、現在の進行方向はカナダ方面へと向かう東へ進んでいたのだ。 あとから気づいたことだが、今の国際情勢を反映しているらしい。 そう、こうやってこちらが胸たからかに心躍っている間にも、その気持ちとは真逆の感情を過ごしている人もいるのだ。そのことを、世の中とはこういうものだ。と切り捨てるのではなく、そんな状況だと理解をしながらも、自分がどのようにこの世の中と向き合っていくのかを考えていきたい。 自分とは何者なのだろうか?という存在論的要素と、そんな自分を、世の中をどうやって知ることができるのだろうか?という認識論とをともに持っておきながら。 自己を見つめ直すとは、こういったフレームワークがないとただの自己愛の過剰肯定にしかならないかもしれない。内面探究のつもりが、外面をなぞるだけの行為に落ちこぼれてしまわないように。 さて、私の左側から見える空と地上の様子もだんだんと変わってきた。 視界は雲一面から海一面へと変わり、山々が見えてきたあとには、人が手を入れている田畑が現れ、その後、川の水路にあわせて、小さな集落が出てきた。フランスに入ったと思ったのはようやくその頃だ。 見える田畑の景色が全て葡萄に思えたのだが、そんなことはないだろう。しかし、進路方向をみるとロワール、ボルドーは通ってないとしても、アルザスやブルゴーニュ、そしてシャンパーニュは通っているはずだ。 そんな作り手が丹精込めたワインたちも、長崎市でも五島列島にも届く時代なのだから、物流の威力を感じる。 世界はネットワークで張り巡らされている。メッシュ化された世界の地図上のネットワークと、自分の頭の中の神経シナプスの構造とを思わず比較した。外に向かっている世界と、自分の中にある内的世界とを。案外、同じつくりになっているかもしない。 主要都市といえるハブスポットは、私にとってのアイデンティティに強く影響を与えている要素と言えるかもしれないと思ったのだ。 となると、パリ・NY・東京は、私にとってのトレーナー、、、コーヒー、、、? 以外と出てこない。 無理して考えなくてもいいだろうからこのあたりでやめておこう。隙間は自然と埋まっていくだろうから。 蛇足すぎるが、最後にサーフィンとでも言おうとした。しかし、好きな割には全然乗っていない。というか上手に乗れない。もう5年はしていないだろうか。乗らなくなった理由は特にないが、好きな気持ちは変わらないということもあるのだなと知った。そして、波にさらわれたときにサーフボードが流れていってしまわないために、ボードと足首をつなぐチューブをどこにしまったっけ、と考えている間にいつのまにか着陸した。 お世話になったCAへ挨拶をし、近くに座っていた人にも長かったですね、の表情を互いに交わし、その後はスムーズに入国審査場へ進んだ。 ようこそフランスへ。 日本の方はこちらです。 なぜだろう。現地で日本語をみると少しげんなりしてしまう。わからなくてもいいからフランス語で書いてくれと。わからんわからんを言いながら進んでいくのが楽しいと思いたいのだ。ハワイに行った時にホノルルビーチで、日本人の男性二人がお疲れ様ですと言葉を交わしていたときくらいがっかりしてしまう。ビーチでお疲れ様?アロハでいいじゃんと。ここでは、挨拶の後、最後にLOVEをつけくわえてもいいくらいだよと教えてあげたい。郷に行っては郷に従えを体現しようじゃないかと。 さて、このくらいのつまらないアドバイスをなんとかギリギリ、口にだすことなく、胸に秘めることができた成人男性も、入国審査が終わり、荷物受け取りの場所までやってきた。 7.8年前、丈夫だと信じてアメリカから購入したアルミ製のスーツケースは、今回も目に見えるダメージを負って登場してきた。 今回の旅程に合わせて、スーツケースのタイヤを4つ全て修理してもらったのだ。渋谷の駅裏にあるショップだったのだが、これまで、テナントスペースとしてみたことないくらいに極小物件だった。間口1m、奥行き2.5mほどの階段下の収納スペースくらいのその修理店で直してもらった。その時に、タイヤ以外のボディの部分でもいくつか気になることがあったから尋ねてみたところ、このアルミ製は柔らかくて変形しやすいんですよねと言われた。ショックだった。 NASAの依頼によりアポロ11号が月面から石を持ち帰るために作ったケースが、バゲッジクレームごときに屈してしまうとは。だが、無事に受け取れて一安心。 電車にのって、パリ中心地までいくことにした。 インフォメーションの方に聞いて、電車の仕組みがなんとなくわかってきた。日本の都内の地下鉄に比べるととてもシンプルな構造だ。 いくつかのアドバイスを反芻しながら凝り固まった股関節をほぐそうとあえて大股で歩いていたら、ゴミ箱が目に入った。スーツケースにつけていた割れ物注意のタグを捨てようと思った。すると、その場所の目の前が外貨両替所であった。きちんと忘れていた私は飛び跳ねて両替を依頼した。 ますますいい旅になるなと確信した。 現在: パリ、シャルル・ド・ゴール空港 ようやくHND-CDG行きの乗客員全員の搭乗が済み、今はCAが最終確認となるであろう業務をされている頃である。
これから14時間半の空の旅が始まる。 旅はいつも多くの気づきがあるが、昨日は、乗り継ぎが翌日になる場合だったとしても同じエアラインであれば、最終地点までスーツケースをダイレクトで運んでくれるということを知った。 今朝の段階でまた新しいことを2つ知った。 それは、羽田の第3ターミナル(国際線)へ到着して、外貨を両替しようとした時である。 ターミナルへ到着したが、早朝ということもあり、比較的空いていた。その時点で既にオンラインチェックインを済ませていたことと、バゲッジの預け入れが長崎空港の時点で完了していたので、早々と保安検査場を通過しエアライン各社が運営しているラウンジへ向かった。もちろん、今回搭乗するところのラウンジへ。 4Fに位置する方か、5Fのスカイデッキと称する見晴らしの良い方のどちらに行くか迷ったが4Fにきめた。というよりも、一度5FをのぞいてみたがまだOPEN前だったのだ。しかし、結局は4Fのラウンジで過ごした後にスカイデッキにも行くことになった。そこで、ミニトラブルが起こったがここで詳述するまでもないかもしれない。思い出したら書いてみようという程度のミニさであった。 さて、その道すがら(セキュリティーポイントを抜けてラウンジへ向かう道中)、外貨両替所が目に入った。私はここで、出発前に両替をしておこうと考えていたことを思い出し、立ち寄ることにした。 前回、メルボルンに行った時はキャッシュを使用することはなかったほどに、現地での決済はクレカがメインであった。なので、毎度、それを行う必要はないと思うのだが、自宅にUSドルがいくらかあったので、まあ替えておくかという具合で係の人と挨拶をしてやりとりが始まった。 あちらは、私のことを、これから国外に向けて出発する人であるということは分かっているので、円から他のどの通貨に変換しましょうか、と想定していたようだったが、私がドル札を出したので、おやおや?という顔をしていた。ユーロでよろしくお願いします、とこちらから伝えたのだが、若干の神妙な面持ちをされた。というのも、この場合は一度、ドルから円に、そして円からユーロにという二度の両替となるという。その分、手数料なども必要となるため、現地に到着されてから両替することもおすすめします。とアドバイスをもらった。 そうか、ここはアメリカでもないし、フランスでもないからそりゃそうかと思った。そう、ここは日本。気持ちだけすでに出国していたかもしれない。 フランスでウォンからペソに交換したいと望む人がいたら、ちょっとよく考え直してみてください。ここはフランスですよと言うと思った。 なるほど。これは勉強になりました。到着後、現地で両替することは人生初だ。こういった小さな一つひとつの体験が楽しい。ただ、到着後に両替をすることを覚えているかが心配だ。 いや、今心配と言ったが、そこまで重要視してはいないと悟った。もし、両替所が、少し遠かったり、待っている人が多かったりすると一瞬で空港を後にし、滞在予定のパリのホテルまで向かうだろう。 両替を待つミニ達成感を味わう時間と、セーヌ川のほとりで、ルーヴル美術館やオルセー美術館を借景にしながらカプチーノを飲む時間とを考えて欲しい。 できればクロワッサンも。 いや、そうか、それを考えるとあの時に両替しておけばよかったかもしれない。そうすると時間も無駄にならなかったであろうに。まあ、いいか。 それが学び1である。両替は現地でやろうと。そして、もう一つ追加することがあるとすれば、現地で色々考えなくて済むようにしようということか。他にも何かあったが、すでに忘却の彼方へ過ぎ去ったので、こちらを学び2にさせていただこう。 さて、この機内にいる今は、東から登った朝の太陽が、私の右頬に向かって燦々と照らしだしている。眩しいが気持ちがいい。5Fのスカイデッキから見ていた美しく配列をなした飛行機も、今ではこうやって滑走路にゴウゴウと音を響かせたのちに宙に舞った。 昨日の悪びれるそぶりもなく遅れてやってきた小さくて可愛い機体と、今私が搭乗しているそれとを比べると頼もしさとスケール感がまるで違う。その差を一番感じるのは、これから飛び立つという瞬間のエンジンの出力が最も高まったときかもしれない。 これに合わせて私の旅への期待感も高まった。 そして、それはあっという間に心地よさに変わる。機体が風を切る音は胎児でいう母胎で聞いている音であり、幼児とってはなぜか落ち着くと言われる砂嵐音であるし、大人にとってはもしかすると飛行中の音かもしれない。かなり限定的なユーザーにとっては。 さて、さきほどラウンジで朝食をとったにもかかわらず(そう、冒頭のミニトラブルとは5Fで頼んだ朝食が、4Fに運ばれていたのだ。その間、まさに指をくわえていた。まではいかないにしてもちょっとまった)。これから1回目の機内サービスがはじまるという。サービスに体を合わせることなく体にサービスがはまるときだけ受け取るとしよう。 お心遣いは嬉しいが、飛行機に乗ったからといって2回目の朝食をとる必要もなければ、搭乗後すぐにお配りいただいているミックスあられを食べたくなることもない。お気持ちは本当に嬉しいと今一度謝意を評しながら。しかし、私が機内で朝食がでるということを事前に調べておいたり、朝食はスキップしますと前もって伝えておけば、フードロスへの取り組みも小さなアクションとして実行できたのかもしれない。 食事があることは、有難いのだ。 一方、こちらには、ただでさえいつ食べるかわからない、長崎空港で購入したカステラたちも自分たちの出番を今か今かと控えている。この調子だと、このこたちはヨーロッパの領空を超え凱旋門を眼下にしたのちに、カステラ発祥地のポルトガルと大陸をともにするフランスの地に降り立つかもしれない。 スポーツの世界で例えるならば、地元の子どもたちを本場の超強豪チームと対峙させるような気持ちになってきた。 さて、もう時差ボケが始まってきたかもしれない。少し眠たくなってきた。 現在: HND-CDG 上空 今、長崎空港のビジネスラウンジでアイスコーヒーを飲みながら、ふと、これからはじまるヨーロッパ紀行を作成してみてもいいかもしれないと思い立ち、残りの充電が半分以下の状態のMac Bookを立ち上げた。今朝から忙しかった私とちょうど同じくらいかもしれない。
時刻は現在、夜の20時5分。これから羽田空港へ向かうところである。 この長崎空港は波が穏やかな大村湾の中に位置している。湾といっても、弓形にまがるような湾ではなく、ほぼ陸地に囲まれた、湖かと思うほどの形状である。 瀬戸内海、東京湾、そして伊勢湾は、その大村湾と比べるとその陸地に囲まれた割合の閉鎖性は比べ物にならない。繰り返しになるが、地図上で見ると湖かと思うほどだ。 さて、そんな長崎県本土の中央に佇む大村湾は滋賀県琵琶湖の半分の大きさである。琵琶"湖"と比べると、小さいように感じてしまうかもしれないが、目の前にするとその壮大な様は包容力に溢れている。 長崎から大分へ車を走らせていた高速道路から見えるその景色はいつみても力を感じさせてくれる。そして、私はこの長崎の海に育まれたのだという自覚をいつも持たせてくれる。アイデンティティの源泉は?と誰かに聞いてもらえたら、長崎の海だと言いたいほどに。 しかし、水深は季節によっても差はでるが、約15mほどであり、静岡県駿河湾の2500m、神奈川県相模湾の1500mと比べるとその浅さは群を抜いている。 広く浅くとはこのことか。 また、水深が浅いから外気の影響を受けやすい。そう、影響を受けやすい。そして、その寒暖差がもたらしてくれる恩恵がある。 ここ大村湾では、冬場に海水温が一気に下がることによって、美しい真珠できるのだ。海の色がそのまま真珠の色となり、ダイヤモンドと違ってカットをせずして、真珠は自ら光を発する。 世界的にも珍しい閉じた海域の大村湾は、大きくて穏やかな湖のようであって、美しさに満ち満ちている。 さて、ここまでつらつらと文字を書いてこれたのも出発便が1時間超の遅延したのだ理由だ。よく聞く搭乗機の到着遅れが理由とのこと。パリまで安全に連れて行ってくれるなら余裕である。全く問題ない。喜んで受け入れます。これからパリまでよろしくお願いしますと全員に挨拶したい勢いで。 ただでさえ、空港スタッフ、航空会社の方々は大変な中、遅延したくらいで夜の食事代まで出してくれた。 空港内で使用できるチケットの形で、荷物預け入れの際にフロントスタッフから受け取った。いつもは特に、空港では全く何も買うものはないが、しょうがないからカステラを買った。 明日の朝8:20発のフライトはシャルル・ド・ゴールまで直行便で14時間超となる。カステラのひとつくらいあってもいいかもしれないと思ったのだ。 すでに書いたように、長崎ー羽田、羽田ーシャルル・ド・ゴールまでの旅程を予定しているのだが、ここでひとつ新発見があった。 長崎空港で預けた荷物がそのままパリで受け取れるということだ。羽田空港で受け取る必要はなく。 当然と思うかもしれないが、それは、トランジットが当日中であればもちろんだと感じるが、今回は東京で前泊して早朝8:20のフライトに搭乗するのだ。つまり、夜を通して半日あずけたままとなる。この場合でも可能だという。今回利用するエアラインはどうやら24時間以内の預かりが可能らしい。これはとても快適なサービスであり、旅を一段と軽快なものにさせてくれる。 遅延の1時間、私にとっての創造性高まるレクリエーション(この文字を書くという行為)の機会に恵まれて、荷物まで運んでくれて、そんなに必要性を感じないカステラまで与えてくれるなんて。 いいスタートが切れそうだ。 さて、この最後のパラグラフを書いている今現在は、遅れたことになんの悪気もなく、のこのことやってきた可愛くて小さな飛行機にこの便の利用者が全員乗ったところである。私もその一人。 旅が始まった。 現在: NGS-HND みなさんこんにちは。早田です。 今回は、「よりよい日々を送るために、運動以外での実践は何かあるか?」と誰かに聞かれたことを想定して、こちらのブログに書いていきたいと思います。中でも、食事や睡眠を除いて、その領域をマインドの方に向けると、一つはおすすめは「リフレクションジャーナル(日記)」です。 自分の思考を整理し、アウトプットしておくことで、頭はクリアになり、さらに上質なインプットを迎える状況も整うと思います♪ 語り口調がやや硬質な感じとなってしまったり、誰に向けてしゃべっているのか?と思うような交錯がしばし発生しますが、一例としてとどめておいてもらえたらと思います。 10/8/2023
●●●●●●おいて、元●●●●●(●●●●●産業)に勤めておられた方から面白い話をきいた。 正確には、この方からお聞きする前に●●●さんより間接的にお聞きしていたのだが、改めて詳細を拝聴できる機会に恵まれた。 その話はなにかというと、●●●には、同社内で立ち上げられたR&D組織、●●●●(●●●●●●●●●●●●●●)があるということだ。 パーパス経営の重要性をこの時代にもう一度考え直し、「●●●●●●●●●●●●●」というパーパスを策定したという。 急速な社会変化、テクノロジーの著しい発展に伴い、人間の在り方が見つめ直しをされてきて久しいこの頃に、今一度、その社会構成の礎ともなっている株式会社の役割そのものを考え直していかれたということであった。 しかし、このようなパーパスという言葉は、(カテゴリエラーではあるが)SDGsや脱プラ、カーボンニュートラルなどの"標語"がそうであるようにこの言葉自体が一人歩きし、形骸化してしまわないようにしなければいけない。 さらに、当然ながらその標語を策定しただけで新たな事業やサービスが生まれるわけでもないことも留意する必要がある。 加えて、パーパスはビジョンと混同されることがしばし見受けられる。 ビジョンとは何をするか、どんなことを行うかなどを指し示すものであり、パーパスはそれを行う理由や存在意義である。ひいては企業の存在価値。 つまり、パーパスが「why」で答えられるものであるならば、ビジョンは「what」に応えるものである。 [弊社/当スタジオ/早田]が考えたこともここでひとつ改めて表明しておいてもいいかもしれない。 実質的に経営理念自体を私一人で考えていった。もちろん、相談できる人はいたにしても、構想段階から決定までは一貫して自分の内的世界・外的世界に目を向けて思案していった。 私の在り方がスタジオの存在価値を照らしだすものであるし、その存在価値を見つめ直すことは、株式会社が在る意義でもあると思う。 そして、ついに2021年にパーパスを決定した。これは決定したといっても発表したということまでは至らず、自分の手帳に、または自分の胸のうちに閉じていたという流れであった。 パーパス: 最高の未来の可能性を創る 私たちは本来、人間としてより高次の段階へと発達することを希求する生物であると思う。マズローの人間性心理学で述べられている自己実現を追い求めることは"普遍の真理"であり、それは食欲・睡眠欲・性欲と同じように欲求として私たちの身体と心と魂に息づいているのだ。 もし、それを求めることが難しい状況であったり、考える余裕やきっかけがなかったならば、それを支援する人がいないことが理由かもしれないし(つながり)、それをよしとする社会的な空気圧が原因となってしまっているかもしれない(システム)。 また、これを追い求めることを一種の上昇思考だとか、余裕のある人のすることだ。などと揶揄してしまうことは、後天的に獲得していった理性で構築した発想のように思えてしまうのであまり前向きには捉えていない。もっと奥の方にあるはずだと。 もう一度、自分の胸に手を当てて、深呼吸とともに、自分のDNAに聞いてみたい。 どんな人生を送りたいか? 変わるならどう変わりたいか? 自分にとっての自己実現とは一体なんなのだろうか? 私は、それらをサポートすることをスタジオ・会社のパーパスとすることにしたのだ。 「最高の未来の可能性を創る」 --- では、ビジョンは? 実は、ここで詰まってしまった。 いくつも言葉は出てくるがそれを見て心底納得している自分がいなかった。 「人間生活の根幹である身体を十全に作り上げる」 「心身両面の健康をサポートする」 「トレーニングからライフまで、寄り添うことを通してよりよい未来を共に築く」 しかし、どうもしっくりこない。外してはいないがはまってはいない感覚がある。 そして、今はまだ答えが出ない時期だということにして積極的に待つ時期とした。 今はまだ、探る段階なのかもしれない。そう思った。 (そもそも最初は、そんなことを考えて事業をスタートさせたわけではない。トレーニングが楽しいから、それをどうやったら広く伝えることができるかな?と純粋に考えていっただけである。) すると、結果論ではあるが、この前向きなペンディングという決断は私の人生を好転させるものであったように感じる。 その熟考の期間に出会ったいくつもの書籍は、まるで先導人がいる舟のようにゆっくりとではあるが着実に私の人生を小川から大海へと運んでくれた。途中何度も川の湾曲部にぶつかってはいったものの。 ”問いがでた段階で答えは出る”と述べていたのは、アメリカの心理学者ジェローム・ブリューナーだったと思うが、私たちは絶えず問う生き物である。 そして、いつかはその問いに対する答えがでるものである。 問いを考えること自体で、その問いの質は深化し、進化していくのだ。 まさに問いが問いを解決してくれるかのように。 そのような意味では、その問うという行為そのものが、私たちの人生で大切なことのように思えるし、求めているか否かを別にしても、必然をもって絶えず現前してくる。それと対峙し、自己と照らし合わせながらその段階での答えを導いていくことそのものが人生とも言えるであろう。 焦らず、問いを味わう。 焦って出した答え、または、考えることを放棄してその苦悩(あるいは挑戦の機会)と向き合わず安直に出した答えは、質的な段階としてあまり進化が伴っていないものだと思う。 この問いを探し求めて、答えようとし続けるプロセスを辿る私たちはきっと、絶えず”意味を構築する生き物である”。そう、これはもうすでにロバート・キーガンが述べてくれていた言葉だ。 私たちはきっと一人ではできないが、二人だったらできることがある。 そして、共によりよく生きようとすることでそこに創発が生まれるのだと思う。 そんなことをふと思った。記:大分県にて。10/8/2023 |
Author Wataru Soda Archives
10月 2024
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