アムステルダムの朝を迎えている。朝の7:08であるが、ここでも太陽はまだ登っていない。きっとあと1時間ほどなのだろう。
昨日はホテルチェックインに合わせてフローニンゲンからロッテルダムに入り、ホテルでは一息つきながら、友人と電話をして旅の思い出を振り返り共有した。そして、アムステルダム中央駅にむかって歩いて外に出た。 今回の最大のお目当てのゴッホ美術館は残念ながら事前予約が必要であって、私の滞在時の分はすでに売り切れとなっていた。中でも「ローヌ川の星月夜」の作品を一度見ておきたいと思っていたが、まあ仕方がない。こういうことがあると、またこの街に吸引されるように、いつかまた行こうと思えるから。美術館のエントランスの前に、屋台のような出店があって、そこで縦300mm横450mmのミニポスターのようなものを購入した。とても分厚い厚紙にプリントしてあると表現すればよいだろうか。 さて、そんな「ローヌ川の星月夜」の収蔵場はなんと、パリのオルセー美術館だということも今分かった。美術館に対して何のスキルもなくただの好奇心で赴く人は、ゴッホの作品なのだから、ゴッホ美術館にあると思い込んでしまった。それにしても、オルセー美術館をなんと適当に見ていたことか。ついこの間ぷらぷらと訪れたではないか。今思い出したが、そういえば、特別展示が1F奥の部屋で開催されていて、長蛇の列をなしていたが、あれだったのか。美術館めぐりとはこんなに難易度が高いものか。 「ローヌ川の星月夜」について簡単にネットサーフィンを試みたのだが、この絵に対して驚きの調査がなされていた。この作品の中に出てくる星は本当に見えているのだろうか?と。面白い視点を持った人がいた。ほほうと、興味深く眺めていると、この時期、この場所で描かれている星は、本当はない。見えていないはずだという。天文学を駆使して星の動きを観測すると、そのような配列になっていないとまで記述があった。1つずつの星の名前まで振っているから入念な調査がなされたのであろう。しかし、ゴッホが見えた、ゴッホが表現したかったとすればそれだけでいいような気もするが。これも私の一意見であり、そちらも一意見。どちらも主張したいことがあるのだ。みんなそれぞれ言いたいことが様々にある。 しかし、ゴッホがあの絵を描いた心情に想いを馳せると、繰り返しの意見になるが、見えていたのだと思う。または、見たことがある世界をもう一度描いて、表現をしたかったのかもしれない。いつでもその見えていた景色と繋がっていることを実感したかったのではないか。それは、心細い感情とも形容できると思う。そこを描いて埋め合わせをするような。だから溢れる思いでそう表現したい。きっと絵画を通して、見たことのある、あるいは見ようとしていた世界を味わいたかったのだろう。絵画はその窓口になる。25歳まで牧師を目指していたというからなんだかまた理解ができるような気がする。しかし、これも私の一意見であり、ゴッホさんに聞かないとわからない。だからいつまでも考えられる。 “I dream my painting and I paint my dream.” “私は絵を描く夢を見る、そして、夢を描く” ― Vincent Willem van Gogh 今朝も最高の朝食だった。
朝食会場は、フロント横に2手に分かれており真ん中にコーヒーメーカーやフレッシュジュースが並んでいる。 今日のテーブルはどこにしようかと悩んでいたが、夢の中にでてきた窓際の席に腰を下ろした。 そこからはちょうど外を眺めることができ、雰囲気も良い。オレンジジュースを2日続けて飲んでいたので、キャロットジュールをグラスに注ぎテーブルに置いた。大きな丸い皿に、何を取り入れようか考えていたが、今回はライ麦パンを自分の好みの厚さにスライスし、トマトときゅうり、スライスチーズをサンドしてみた。そこで、昨日食べたチーズとは違うものをチョイスしていることを思い直し、きっとこれは、機能食べたものとは、比較的塩味が弱いだろうと思い、薄くスライスされて綺麗にロールされている生ハムもメンバーに加えることにした。生ハムに塩味が効いていることを予想したのだ。とはいえ、このロールの塊がそのまま口の中にくることを思うとちょっとインパクトが強いと察知し、手で広げることにした。それをもう一度二重にたたみ、2枚を重ねた。 朝食にヨーグルトは欠かせないが、中でもクルミとナッツを砕いて入れるとなお最高だ。そこに少しのハチミツを垂らしてみる。Netflixの「デヴィットベッカム」をみてもっぱらはちみつにはまっている。そこには冒頭シーンでベッカムがはちみつを作っている場面が出てくるのだが、それを見て以来、こっちにきてからは朝食では毎回とっている。とはいえ、その映像を見ていなかったとしても、目の前にあったら、毎回選んでいるかもしれないが。 最後にたまご類をゆでたまごかスクランブルエッグにしようか考えていた。ゆでたまごはこの旅でも何度か続いていたので、スクランブルエッグを採用し、そこに、別の種類のチーズを手で細かくちぎって暖かいスクランブルエッグによってチーズが溶けてくれることを期待した。 ようやく席に戻り、朝食をとりはじめた。サンドは想像よりも美味しく、単品で食べるよりもなぜサンドになると美味いと感じるのか不思議に思いながらむしゃむしゃと食べた。チーズの塩味は控えめで香りは強く、食感も程よい柔らかさがあって、パンの硬さともマッチしている。トマトの酸味も、チーズでこってりとした感じのところにいいサブ的役割を発揮している。そして、さすがは生ハム。噛み切りやすくもきちんと味の主張があってよろしい。 オレンジジュースよりもキャロットジュースを選んだことがより食事全体のバランスをとってくれた。するすると飲みやすく食事の味に集中させてくれる。 だが、残念だったことにスクランブルエッグとチーズがどうもピンとこない感じであった。まあ、美味しいことは美味しいという程度であって、半分くらい食べ進めていた。そこで忘れていたことが。ここにはブラックペッパーをちらすのであった!あっと思い卓上にあるそれを手に取り、ごりごりと回すと砕いた後の新鮮な香りがテーブルに漂った。スプーンで大胆にすくって食べると、美味し過ぎて倒れた(比喩ね)。 この食べ方は、今回の旅でご一緒させてもらった加藤先生に教わったことだ。さすがはオランダ歴9年のベテランチーズマスター。教わることは豊かなことだと思い、感謝をし、ダブルエスプレッソを手に取り、自分の部屋に戻った。 現在: Groningen -旅のスピードが加速している。ここフローニンゲンで過ごした3日間は言葉の通り光のように過ぎ去った。-
どこを切り取ってもユニークな体験と、深い学び、そして絶対的と呼べる人生への強い自信を手に入れて、この街を後にすることになる。しかし、どうやらまたこことは縁がありそうだとも感じている。街並みひとつ、買い物ひとつ、ホテルの滞在ひとつをとってもすべて流れるように自分の身体にそっている。そっているというのは板についているという意味で表現したいのだが、その場合は、他の何かを自分のものにしたという自分が主軸な印象を持った。しかし、ここで感じていることは、この街に自分が溶け込んだという状態の方が近い。初めからそういえば良かったか。 この後、朝食をとり、列車に乗ってアムステルダムへ向かう。 2時間くらいの旅だと思う。 ーーー 今調べてみると3時間であった。 となるとホテルのチェックインが2時だからその時間を目指して今滞在しているフローニンゲンのホテルを発てばいいだろう。それまでは、そんなに多くはない荷物を簡単にまとめて、本でも読もう。そのときに朝食会場からダブルエスプレッソを入れたコーヒーマグを持ってくることを忘れないようにしなければ。今は6:43。朝食は8時くらいでいいかもしれない。 ホテル滞在時は朝にしっかりと食べて昼はスキップし、夜は朝食会場から頂戴したりんごやラフランス、オレンジやバナナなどをその時々に置かれているものに応じてとっている。とにかく思考をクリアにしておきたい。あらゆる知覚が鋭敏でいることが感じられるから。 そうはいってもマーケットで何か買いたいなあと物色している自分はいた。しかし何も食べる気はせず、どんな物が置いているだろうという具合でウロウロしていた。街の中心部と思える広場に何十軒とテントを張って各お店が営業をしている。そこにきている人は実に多様で、このマーケットが街全体の人に利用され続け、愛されていることを感じ取れる。コーヒーショップもあり少しそそられたが、何せ何も入らない。ひとまずここをさろう。 広場から四方八方に伸びる路地の、一本の道をなんとなく決めて、そこへ進むと、そこにはオランダらしい古くからそおこにあるのだろうと思わされるショップがあった。チーズ専門店である。 そういえば、ホテルではやたらチーズが大量に、しかも種類豊富に置かれていると思った。そうか、ここはオランダだったかと納得した。ロッテルダムからフローニンゲンまでの列車の旅でも緑しか見ていない。しかも、オランダは山がない。見渡す限りの平野が広がっていた。目の前の視界のスペースが大きくひらけて、空を近く感じる。これは、街のつくりとも繋がっていた。街全体において、3階建てまでの高さ制限があり、自治体がうまく統制を効かせられているというか、機能しているともしれた。法律ではなく自治体のパワー。規則じゃ無いけどモラルの力。ひとつの街は色々な集合意識によってバランスを保っているのかもしれない。 さて、朝食までまだ時間がある。 読書に移ろう。 現在: Groningen-Amsterdam ロッテルダムで迎えた朝は美しかった。
朝食の時間7:30には小雨が止んでまだ日が登る前だと想像できた。そういえばヨーロッパは太陽がのんびりと出てくるものだと思った。この日は午後の13時からアニマルフローの講習会があり、そのインストラクター養成講習会に参加する予定がある。ホテルから朝食会場までは歩いていき、おそらく20.30分ほどで会場に到着した。 総勢25人くらいの参加者が各国から集い自らのスキルアップや情報交換に努めていた。 今回のプログラムの内容は日本にいるときにすべて、動きとしては習得していたので安心して受講できた。アニマルフローの動きは、柔軟性・可動域・筋力・持久力を一挙に鍛えることができるので、今後の私のライフトレーニングとして導入したく、一度、システマチックに学んでおきたいと思っていたのだ。もちろん、ジムやオンラインでもこのテクニックを駆使し、フィジカルの新たな開発を提供していきたいとも思っている。 クラスでは、いくつかの小グループを作り、自分が学んだ動きを他者にきちんと伝えることができるか?という構成で進んでいった。クラスに参加していた人たちは、まさに学びに対してオープンであり、その先生役を務める人にまずは挑戦を進め、つまづいたら少し手を差し伸べ、最後までやりとげたら、心からの大きな拍手でそのチャレンジを讃えるというシーンが何度もあった。アニマルフローという私たちのスピリットを感じさせてくれるトレーニングは、参加者とはいえ、それぞれのホームに変えるとプロフェッショナルとしての指導者の顔がある。きっと、この人たちはそれぞれのクライアントの人たちとも暖かいコミュニケーションとプロフェッショナル意識を持っているのだろうと感じた。プログラムの内容もさることながら、私が暗黙知として学べた最高の知識はここにあるのかもしれない。 瞬く間に2日間が過ぎ、ロッテルダムから、フローニンゲンへ列車に乗って移動した。 現在: Rotterdam-Groningen ホテルのチェックアウトは実にあっさりと終わり、フロントの人にメルシーと声をかけてもらってホテルを後にした。
時間に余裕をもって到着したが、「Gare du Nord」駅はとても広かったので、ここで時間をゆっくり過ごすのもいいなと思えた。まずは自分が乗車する列車が何番線から出るのかを確認しようと思ったが、電光掲示板には表示されていなかった。こういうときに、時間に余裕を持っていてよかったと思う。もしこれが時間ギリギリだったら焦るだろう。近くの係の人を呼び止め、スマホのウォレット機能に格納されてあるチケットを見せて、これに乗りたいんだけど何番線から出るのですかと尋ねてみると、直前にしかわからないからもうちょい待ってねと教えてもらった。そんなことあるんだと、これまた日本だったらと比べてしまった。だけれど、それが知れただけで安心であった。発車20分前くらいにもう一度電光掲示板を見に行こう。 今回乗車する高速列車のユーロスターは、フランスのパリ・リール、ベルギーのブリュッセル、そしてオランダのロッテルダム・アムステルダムを結んでいる鉄道会社だ。 私はてっきり、 Thalys(:タリス)と呼ばれる高速列車に乗車するものと思っていたが、フランスの鉄道にはこのように、2つの運営会社があることを知った。しかも驚くことに、ユーロスターはイギリスとフランスまで繋いでいるようだ。ドーバー海峡を鉄道で結んでいるとは。下関海峡もびっくりである。 さらに、このタリスとユーロスターは、2022年の3月下旬に、欧州委員会より合併の承認を受けたようだ。これまでは独禁法に抵触すると判断されていたのであろう。時代は変わる。こうなることによって、ヨーロッパ各都市へのアクセスがより便利となる。世界はいい方向に進んでいる。 さて、発車時間近くになり電光掲示板にいくと、きちんと乗り場が示されていた。7番乗り場。チケットを確認すると、coach 15、seat 38。ん?coachと思ったがきっと何号車ということだろう。自分の概念が怪しくなっていたので、念のために駅員に聞いた。すると、1.2.3と指をさしてこれがcoachさ!はっ!と超絶笑顔で対応してくれた。パリはいいところだ。メルシー!ボンボヤージュ!とまで声を受け、最高の形で送り出してもらった。これは最高の旅になる。何度も何度もそう思える旅が続く。 最も手前の1 coachから、15 coachの乗り場はずいぶんと遠いところまで歩いた印象だった。途中の5か6 coachまでは、ホームに屋根があったが、それ以降は露天だった。ここにきて、そういえば雨が降ったことはないなと思い、天候に恵まれたんだと気づいた。 自分の座席を確認し、日本に比べるとシートの幅が広く、これは快適な2時間半の旅になると想像した。初めての土地を訪れるときは、窓側をいつも選んでいる。左の席は空席だ。自分のリュックを置いておこう。 ほどなく読書を始めると、想像していなかった展開が。私の2.5倍くらいの男性が隣にこしかけた。座席は自然と2/3のスペースに縮小された。さらにzoom会議まで開催し、ミーテーぃングは大いに盛り上がっていた。気づくと、他の方もお仕事なのだろう、電話やオンライン会議を繰り広げている。中でも、隣の方は身振り手振りのアクションが多く、私の体感としてはほぼ半分の座席感にまでなってきた。私は、思慮深く、かつ丁寧にお相手の方をできるだけ傷つけず、あなたのお身体の大きさに窮しています、もしよろしければ、ジェスチャーもほどほどにしてもらっていいですか?と立派な英語を話せる素養が備わっていない。ここは耐えるという道を選んだ。左の肩はいまにもつりそうなり、様々なポジションを探した。 そんな1時間をやり過ごし、隣の男性はフランスとベルギーの国境近くのリールで下車した。そこからブリュッセルまでは一人となり、これまで拘縮していた筋肉たちにたくさんの酸素を送ろうと、左大胸筋、僧帽筋、広背筋をストレッチしまくった。 すると、ブリュッセルで大勢の方々が乗車してきた。またきた!とドキドキしていたが、私の隣には美しい女性が座った。おそらくオランダの方だろう。簡単な荷物だったのでそう判断した。簡単な挨拶と、どこまで行かれるですかの会話をし、その後の列車の旅は穏やかで少しうきうきな旅となった。世界は調和でできている。 現在: Bruxelles-Rotterdam 午後にはエッフェル塔とルーヴル美術館を訪れた。と入ってもどちらも目の前通り過ぎただけである。理由はシンプルでもう大満足してしまったからだ。
その前に訪れたオルセー美術館の建物のつくりと作品に気持ちがお腹いっぱいとなってしまった。なんでもほどほどにということで早い段階でホテルへ戻り、持参していた本: MARC B. AIXALAのPSYCHEDELIC INTEGRATIONを読み始めた。このサイケデリクス分野の探求を進める中で、これが自分が突き詰めたい道だと日々手応えを感じている。自己実現や自己超越とはなんぞや。それをどう理解し、どう到達できるのか。そのあたりに兼ねてから興味があったことを思い出した。しかし、これまでの自分は頭の中が混沌としており、それを整理してくれる言葉と出会えていなかった。そして学問にも。または、来るべきときにきてくれたという表現の方が正しいかもしれない。今では理解できている気がする。 旅はいつも自分を省みる機会をくれる。そして、絵画もまたそうかもしれない。オルセー美術館にはゴッホのデッサンが多く並べられてあり、ローヌ川の星月夜が印象的であり、目に焼きついた。明日オランダ入りとなるが、間違いなくゴッホ美術館に行こう。そう思った。 一夜明け、翌朝は同じく日の出を長く待ちながら読書を進めた。昨日、私が部屋を後にする場面で、ちょうど部屋へ清掃の方が入るタイミングがあった。すれ違いざまに、コーヒーをもうちょっと多めにくれない?と相談してみると、好きな数を言ってくれと言われて、私はエスプレッソダブルを2回と、ロングブラック2回を飲むことを想像して6つと伝えた。通常は4つ置かれているので、2つ多めに求めたかたちだったが、さらに気を利かせて計8つもくれた。帰ってくるのが楽しみだと思っていたそのコーヒーを、飲みながら読書を続けた。 また、あとからわかったことだが、そのホテルのロビーではコーヒーやら軽食やらフルーツが自由にサーブされていた。それに気づいた時点ではもう必要がなかったので、水だけもらうことにした。 読書の後、夜明けと共に外出し、もう一度セーヌ川を歩いておきたいと思った。今日は午後からロッテルダムいきの列車に乗るため、午前しか活動できるタイミングがないのだ。列車の予約は日本にいる段階で済ませておいたのでホテル近くの駅から出発する便に乗るだけであった。 もうランニングしていくような気持ちではなく、のんびり歩いて行こうと思ったが、歩くにしては、そこまでの時間の余裕もないことを思い直し、地下鉄に乗った。外ではWi-Fiが繋がっていない状態だが、パリの地下鉄はネットで調べなくても直感的にどれにのればいいかがわかる。ホテルではもちろんWi-Fiがあるので、到着予定の近くの駅の名前を覚えればなんとかなる。 そして、今回の目的地、セーヌ川沿いに見えてくるノートルダム大聖堂に到着したのだが、思わず目を疑った。なんと改修中であった。それも大規模の。外観は一部覆われていたが、この地に多くの人が信仰を求めて訪れたということを想像するだけで、ここでも大満足であった。その後、近くのカフェを訪れた。 パン屋とコーヒーショップが一緒になったようなところで、立派なエスプレッソマシンがあった。いつもは午後にラテを飲みたくなるが、ここではホットのラテを選んだ。時刻は午前10時。カップが思ったより小さかったので、グランデサイズにできますかと聞くとジャストワンサイズと言われたので、まあいいかということでそれをお願いした。そして、レジの近くに置かれていた私のイメージしていた外がバリバリになってくれているクロワッサンがいたのでそちらもオーダーした。 2つで4.5ユーロというので5ユーロを出した。すると、愛想のいい女性の店員さんが、失笑しながらここはイギリスじゃないよと軽いジョークを言ってくれた。はじめ、なんのことかと思ったが、私が出したものはイギリス紙幣だった。自宅から持ってきたお金の中に2つの紙幣が紛れ込んでいたのだ。パリでツッコミをもらえたのはきっと忘れないだろう。笑顔で手際よく、はいはい5ユーロね、と言ったのちに、ここはイギリスじゃねーよ。のテンポで返されたので、私はこれをパリツッコミと名付けることにした。ちょっとシンプルすぎるかもしれない。 そんなパリツッコミを頂戴した後、手拭きのペーパーや砂糖、クリームなどはこちらから自由に使ってねと声掛けを受けて会釈をしてテラスに向かった。 ここでジャストワンサイズのラテとクロワッサンをいただくことに。そのときにふと大分の愛すべきコーヒーショップとそのオーナーの方を思い出した。尊敬するそのバリスタかつ焙煎士の方から、コーヒーの味は減点方式なんだと聞いたことがある。生産の段階を100とすると精製や焙煎、ドリップの時点で少しずつ、ときには大幅に本来有している味が落ちてしまうと。なるほどと感嘆したことを今でも覚えている。 そんなことを思いながら、こちらパリのセーヌ川沿いの店内を見回してみた。床にはモノクロのタイルが敷かれており綺麗に磨かれている。壁面上部1/4は特定ができないユリのような白い花と、オレンジ色のつぼみをもった植物が描かれている壁紙が貼られていた。壁面上部の2/4には緑色のタイルが貼られていた。そして、その下半分は鏡となっていた。天井から吊るされた丸い暖色系の光をゆるやかに放つライトは、緑のタイルと鏡、そして床面に美しく反射している。鏡が互いに向き合っている箇所があり、ライトがいくつにも重なって映し出されていた。そのせいか、遠くに吸い込まれるような不思議な奥行きが店内の雰囲気として品良く溢れ出ていた。 自分が旅にきていると思うと、その感覚が一層深まった。遠くの世界に吸い込まれる感覚。 ここで、おや、加点方式の部分もあるのではないかと思った。その要素とは、店内での簡単なやり取りと、ちょとした気遣い。そして軽いギャグ。その大分のお店はどれも十分過ぎるほどに満たしていた。世界共通かもしれない。 今回偶然にも訪れた、1892年にできたMAISON Richardという名前も忘れることはないだろう。その老舗感らしからぬ最新式のマシンのギャップにもやられた。音楽はなぜか1980年代調のソウルミュージックだったことだけは気がかりだったが、これもありかもしれないと思わされた。さて、メトロに乗ってホテルまでいこう。 現在: Notre-Dame de Paris / MAISON RICHARD この日は朝の5:45に外を出た。気温は16度ほどで、ランニングをするには最高の気温だ。コーヒーを2杯飲んだ後、Tシャツに短パン、ランニングベストを一枚羽織って外に出た。
朝の街並みは、昨夜に比べても最高に素晴らしかった。 まず、空気が綺麗。昨日の夜は、この街は走れないなというくらいにタバコに匂いがきつかった。タバコは文化なのかもしれない。その割に健康を訴求する店も多く目に止まったので矛盾を感じた。見たいところだけ見る。みたくないものはないものとする。そんな思考を持ってしまう自分になりたくないなと気づきを頂いた。早朝よりパリに感謝。 夜明けが8:02のパリでは、朝の時間はゆっくりと流れる。これは前のトラべローグ3でも書いたはず。 ホテルから歩いて40分ほどのルーヴル美術館までの距離をのんびり走ったり歩いたりを繰り返して向かっていった。ルーヴルの開館は9時のようだ。後2時間半待つわけにはいかない。とても広大な敷地にそびえ立つ建物をぐるっと一周した後に、この美術館に面しているセーヌ川へ出た。水のあるところに街が作られるとはこのことかと思いつつ、その対岸にあるオルセー美術館にも目を奪われた。川の岸辺にルーヴルとオルセー。 この対岸を繋ぐ"Pont des Arts"の橋を歩いているとこれまでは両側の陸地のほうしか目を向けていなかったが、橋の中央に来たところでそれぞれの上流下流に目が入った。あたっているかどうかは別にして、こういう時はこっちが上流だとわかる。おそらくノートルダム大聖堂、ルーブル、オルセー、エッフェル塔の順に上流方面へいくのだろう。おそらく。なぜそう思うのかを考えていると、きっと、以前いつも走っていた大分川の情景をここに当てはめているのかもしれないと思った。自分が作られた場の力に改めて感謝。 そこには、ここで暮らす人たちが出歩く時に困らないほどの最低限の暖色の街灯が岸辺の歩道に照らせれおり、川の水面に美しく反射し、揺れている。奥に見えるのはノートルダム大聖堂で、反対に見えるのはエッフェル塔か?何しろまで暗い中なので、それが何かははっきりとは分からないがパリにきた実感が最も高まった。 きっと、象徴的な建造物がその場所の醸し出すイメージだったり多くの人が共有する意識につながっていくのだろう。無意識的集合意識。精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングの貢献を想起させた。 自己にまつわる集合意識を知りたい。ここでも存在論と認識論を学びたいと思った。 現在: Musée du Louvre/ Musée d'Orsay シャルル・ド・ゴール空港からホテルまで向かう時は列車を利用することにした。
チケット買うことひとつとっても新鮮である。 せっかくならと両替したキャッシュを使ってチケットを購入しようとしたのだが、みたところ、クレカ専用となっているらしい。念のためにキャッシュが使えるところはないですか?と尋ねると、それと指さされたのが、今まさに、私がこれはクレカ専用だと判断したものだった。日本の自動販売機のような紙幣や硬貨を入れるところのイメージを持ってしまっていたが、フランスのそれは、慣れるか、目を丸くして探さないと見つからないほどにわかりにくかった。 どのくらいわかりにくいかといえば、私は、もう一度スタッフの人に、紙幣を入れるのはわかったんだけど、コインは使えないんだね。と話しかけると、ここにあるじゃんと言われたほどに。そう、コイン投下口も分からなかったのだ。ここまでくると、もしかすると、私の目の方が先入観まみれになっていたのかもしれない。ほどなく、今回の宿泊先ホテルに最寄りのGare du Nord駅に着いた。全くわからないスペルだったが、実にシンプルな名前であった。Gare=駅, du=の, Nord=北。ここは北にある駅らしい。 ホテルのチェックインを済ませて簡単な身支度をし歩いて街並みを見に行った。 そこには、トンネルを抜けるとここは..という描写を使いたくなるような美しい街並みがあった。 いつからここに建てられたのだろうかと思うような趣き深い建造物が立ち並んでおり、その側の歩道には商店が立ち並び、これをセットで街だと思える。このお店たちのターゲットは観光客なのだろう。足を止めている人は、ほとんどそのような人たちに見えた。それを含めて街並みと呼べる。 1F部分が店舗であり、2F以降はアパートメントとなっていた。仕事と私生活の距離が近いのか?もし自分だったらどうなるんだろうかと考えたが、そんなことはどうでもいいかもしれない。もしそんな質問をすると、考えたこともないよ、ただこういう生活なのです。と言われそうだ。 そしてきっと、1F店舗を運営している人たちがその上のアパートメントに住んでいるわけではないだろう。私はもうパリにいるのだから、全部自分の視点から物事を考える思考法を手放さなければいけない。日本流を明け渡した時に新鮮な現地の風をもらえるからだ。 飛行機が到着してからホテルまでの移動や、散策をしていると、あっという間に夜となった。食事をどうしようかと考えていた時に、新鮮な果物や野菜たちを露天に出しているスーパーが目に止まった。旅先での外食もいいが、生鮮品が置かれているスーパーほど楽しいところはない。 量り売りの惣菜たちをいくつか選び、ヨーグルトとりんご、そしてこれまた量り売りのミックスナッツを紙袋に詰めた。明日の朝はこのヨーグルトにナッツを混ぜて食べよう。スプーンは持参してきていないが、ホテルでカトラリーセットを借りればいいかと頭をめぐらせた。多めに買ったナッツは湿気ってしまわないか気になったが、ナッツを買うためにもう一度ここまで買いにくる元気はない。だが、ナッツはあるにこしたことがない。ということで、多めに入れた。 朝に飲むコーヒーも買おうかと思ったが、部屋には簡易的なコーヒーメーカーが置かれてあったのでそれで済ませることに決めた。 ホテルに戻ってくるや否や、本当の時差ボケがあったのか、この日は軽く食事を済ませた後にあっという間に眠っていた。 現在: Rue d'Alsace, Paris -現在時刻は5:38。パリの夜が明けるまではまだ時間がありそうだ。日の出が8:02のようなので、こちらの朝は時間がゆっくりと流れていく-
さて、羽田を飛び立った飛行機も、今ではカナダ上空まできている。およそ14時間半のフライト時間ものこすところ5時間ときている。この時間は、機内のTVモニターでフライト情報を参照するところがあるので、そこ画面を通して知ったのだが、私が想像しているものとは異なることが一点あった。それは、日本から西にむかってパリを目指すものかと思ったが、現在の進行方向はカナダ方面へと向かう東へ進んでいたのだ。 あとから気づいたことだが、今の国際情勢を反映しているらしい。 そう、こうやってこちらが胸たからかに心躍っている間にも、その気持ちとは真逆の感情を過ごしている人もいるのだ。そのことを、世の中とはこういうものだ。と切り捨てるのではなく、そんな状況だと理解をしながらも、自分がどのようにこの世の中と向き合っていくのかを考えていきたい。 自分とは何者なのだろうか?という存在論的要素と、そんな自分を、世の中をどうやって知ることができるのだろうか?という認識論とをともに持っておきながら。 自己を見つめ直すとは、こういったフレームワークがないとただの自己愛の過剰肯定にしかならないかもしれない。内面探究のつもりが、外面をなぞるだけの行為に落ちこぼれてしまわないように。 さて、私の左側から見える空と地上の様子もだんだんと変わってきた。 視界は雲一面から海一面へと変わり、山々が見えてきたあとには、人が手を入れている田畑が現れ、その後、川の水路にあわせて、小さな集落が出てきた。フランスに入ったと思ったのはようやくその頃だ。 見える田畑の景色が全て葡萄に思えたのだが、そんなことはないだろう。しかし、進路方向をみるとロワール、ボルドーは通ってないとしても、アルザスやブルゴーニュ、そしてシャンパーニュは通っているはずだ。 そんな作り手が丹精込めたワインたちも、長崎市でも五島列島にも届く時代なのだから、物流の威力を感じる。 世界はネットワークで張り巡らされている。メッシュ化された世界の地図上のネットワークと、自分の頭の中の神経シナプスの構造とを思わず比較した。外に向かっている世界と、自分の中にある内的世界とを。案外、同じつくりになっているかもしない。 主要都市といえるハブスポットは、私にとってのアイデンティティに強く影響を与えている要素と言えるかもしれないと思ったのだ。 となると、パリ・NY・東京は、私にとってのトレーナー、、、コーヒー、、、? 以外と出てこない。 無理して考えなくてもいいだろうからこのあたりでやめておこう。隙間は自然と埋まっていくだろうから。 蛇足すぎるが、最後にサーフィンとでも言おうとした。しかし、好きな割には全然乗っていない。というか上手に乗れない。もう5年はしていないだろうか。乗らなくなった理由は特にないが、好きな気持ちは変わらないということもあるのだなと知った。そして、波にさらわれたときにサーフボードが流れていってしまわないために、ボードと足首をつなぐチューブをどこにしまったっけ、と考えている間にいつのまにか着陸した。 お世話になったCAへ挨拶をし、近くに座っていた人にも長かったですね、の表情を互いに交わし、その後はスムーズに入国審査場へ進んだ。 ようこそフランスへ。 日本の方はこちらです。 なぜだろう。現地で日本語をみると少しげんなりしてしまう。わからなくてもいいからフランス語で書いてくれと。わからんわからんを言いながら進んでいくのが楽しいと思いたいのだ。ハワイに行った時にホノルルビーチで、日本人の男性二人がお疲れ様ですと言葉を交わしていたときくらいがっかりしてしまう。ビーチでお疲れ様?アロハでいいじゃんと。ここでは、挨拶の後、最後にLOVEをつけくわえてもいいくらいだよと教えてあげたい。郷に行っては郷に従えを体現しようじゃないかと。 さて、このくらいのつまらないアドバイスをなんとかギリギリ、口にだすことなく、胸に秘めることができた成人男性も、入国審査が終わり、荷物受け取りの場所までやってきた。 7.8年前、丈夫だと信じてアメリカから購入したアルミ製のスーツケースは、今回も目に見えるダメージを負って登場してきた。 今回の旅程に合わせて、スーツケースのタイヤを4つ全て修理してもらったのだ。渋谷の駅裏にあるショップだったのだが、これまで、テナントスペースとしてみたことないくらいに極小物件だった。間口1m、奥行き2.5mほどの階段下の収納スペースくらいのその修理店で直してもらった。その時に、タイヤ以外のボディの部分でもいくつか気になることがあったから尋ねてみたところ、このアルミ製は柔らかくて変形しやすいんですよねと言われた。ショックだった。 NASAの依頼によりアポロ11号が月面から石を持ち帰るために作ったケースが、バゲッジクレームごときに屈してしまうとは。だが、無事に受け取れて一安心。 電車にのって、パリ中心地までいくことにした。 インフォメーションの方に聞いて、電車の仕組みがなんとなくわかってきた。日本の都内の地下鉄に比べるととてもシンプルな構造だ。 いくつかのアドバイスを反芻しながら凝り固まった股関節をほぐそうとあえて大股で歩いていたら、ゴミ箱が目に入った。スーツケースにつけていた割れ物注意のタグを捨てようと思った。すると、その場所の目の前が外貨両替所であった。きちんと忘れていた私は飛び跳ねて両替を依頼した。 ますますいい旅になるなと確信した。 現在: パリ、シャルル・ド・ゴール空港 ようやくHND-CDG行きの乗客員全員の搭乗が済み、今はCAが最終確認となるであろう業務をされている頃である。
これから14時間半の空の旅が始まる。 旅はいつも多くの気づきがあるが、昨日は、乗り継ぎが翌日になる場合だったとしても同じエアラインであれば、最終地点までスーツケースをダイレクトで運んでくれるということを知った。 今朝の段階でまた新しいことを2つ知った。 それは、羽田の第3ターミナル(国際線)へ到着して、外貨を両替しようとした時である。 ターミナルへ到着したが、早朝ということもあり、比較的空いていた。その時点で既にオンラインチェックインを済ませていたことと、バゲッジの預け入れが長崎空港の時点で完了していたので、早々と保安検査場を通過しエアライン各社が運営しているラウンジへ向かった。もちろん、今回搭乗するところのラウンジへ。 4Fに位置する方か、5Fのスカイデッキと称する見晴らしの良い方のどちらに行くか迷ったが4Fにきめた。というよりも、一度5FをのぞいてみたがまだOPEN前だったのだ。しかし、結局は4Fのラウンジで過ごした後にスカイデッキにも行くことになった。そこで、ミニトラブルが起こったがここで詳述するまでもないかもしれない。思い出したら書いてみようという程度のミニさであった。 さて、その道すがら(セキュリティーポイントを抜けてラウンジへ向かう道中)、外貨両替所が目に入った。私はここで、出発前に両替をしておこうと考えていたことを思い出し、立ち寄ることにした。 前回、メルボルンに行った時はキャッシュを使用することはなかったほどに、現地での決済はクレカがメインであった。なので、毎度、それを行う必要はないと思うのだが、自宅にUSドルがいくらかあったので、まあ替えておくかという具合で係の人と挨拶をしてやりとりが始まった。 あちらは、私のことを、これから国外に向けて出発する人であるということは分かっているので、円から他のどの通貨に変換しましょうか、と想定していたようだったが、私がドル札を出したので、おやおや?という顔をしていた。ユーロでよろしくお願いします、とこちらから伝えたのだが、若干の神妙な面持ちをされた。というのも、この場合は一度、ドルから円に、そして円からユーロにという二度の両替となるという。その分、手数料なども必要となるため、現地に到着されてから両替することもおすすめします。とアドバイスをもらった。 そうか、ここはアメリカでもないし、フランスでもないからそりゃそうかと思った。そう、ここは日本。気持ちだけすでに出国していたかもしれない。 フランスでウォンからペソに交換したいと望む人がいたら、ちょっとよく考え直してみてください。ここはフランスですよと言うと思った。 なるほど。これは勉強になりました。到着後、現地で両替することは人生初だ。こういった小さな一つひとつの体験が楽しい。ただ、到着後に両替をすることを覚えているかが心配だ。 いや、今心配と言ったが、そこまで重要視してはいないと悟った。もし、両替所が、少し遠かったり、待っている人が多かったりすると一瞬で空港を後にし、滞在予定のパリのホテルまで向かうだろう。 両替を待つミニ達成感を味わう時間と、セーヌ川のほとりで、ルーヴル美術館やオルセー美術館を借景にしながらカプチーノを飲む時間とを考えて欲しい。 できればクロワッサンも。 いや、そうか、それを考えるとあの時に両替しておけばよかったかもしれない。そうすると時間も無駄にならなかったであろうに。まあ、いいか。 それが学び1である。両替は現地でやろうと。そして、もう一つ追加することがあるとすれば、現地で色々考えなくて済むようにしようということか。他にも何かあったが、すでに忘却の彼方へ過ぎ去ったので、こちらを学び2にさせていただこう。 さて、この機内にいる今は、東から登った朝の太陽が、私の右頬に向かって燦々と照らしだしている。眩しいが気持ちがいい。5Fのスカイデッキから見ていた美しく配列をなした飛行機も、今ではこうやって滑走路にゴウゴウと音を響かせたのちに宙に舞った。 昨日の悪びれるそぶりもなく遅れてやってきた小さくて可愛い機体と、今私が搭乗しているそれとを比べると頼もしさとスケール感がまるで違う。その差を一番感じるのは、これから飛び立つという瞬間のエンジンの出力が最も高まったときかもしれない。 これに合わせて私の旅への期待感も高まった。 そして、それはあっという間に心地よさに変わる。機体が風を切る音は胎児でいう母胎で聞いている音であり、幼児とってはなぜか落ち着くと言われる砂嵐音であるし、大人にとってはもしかすると飛行中の音かもしれない。かなり限定的なユーザーにとっては。 さて、さきほどラウンジで朝食をとったにもかかわらず(そう、冒頭のミニトラブルとは5Fで頼んだ朝食が、4Fに運ばれていたのだ。その間、まさに指をくわえていた。まではいかないにしてもちょっとまった)。これから1回目の機内サービスがはじまるという。サービスに体を合わせることなく体にサービスがはまるときだけ受け取るとしよう。 お心遣いは嬉しいが、飛行機に乗ったからといって2回目の朝食をとる必要もなければ、搭乗後すぐにお配りいただいているミックスあられを食べたくなることもない。お気持ちは本当に嬉しいと今一度謝意を評しながら。しかし、私が機内で朝食がでるということを事前に調べておいたり、朝食はスキップしますと前もって伝えておけば、フードロスへの取り組みも小さなアクションとして実行できたのかもしれない。 食事があることは、有難いのだ。 一方、こちらには、ただでさえいつ食べるかわからない、長崎空港で購入したカステラたちも自分たちの出番を今か今かと控えている。この調子だと、このこたちはヨーロッパの領空を超え凱旋門を眼下にしたのちに、カステラ発祥地のポルトガルと大陸をともにするフランスの地に降り立つかもしれない。 スポーツの世界で例えるならば、地元の子どもたちを本場の超強豪チームと対峙させるような気持ちになってきた。 さて、もう時差ボケが始まってきたかもしれない。少し眠たくなってきた。 現在: HND-CDG 上空 |
Author Wataru Soda Archives
4月 2024
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