みなさんこんにちは。ナビゲートのソウダです。一年を通しても最も寒さが厳しくなる時期かと思いますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?ご体調を崩すことなく、温かい環境で日々を送れていることをお祈りしております。
さて、いくら暖冬とはいえ、寒いとつぶやくことがない日はないというほどに、寒くはありませんか?冬だから当然でしょうか。私は、節分前後の日が最も寒い印象を持ちますが、この寒さあってこそ、春の訪れを待つ味わいも深まりますよね。しかしながら、そんな冬に、毎年のように悩まされること...それは「手足の冷え」ではないでしょうか。心臓から最も遠い位置にある部位ですので、温かい血液が遠い箇所まで運ばれることなく、冷め切った状態では届けられてしまい、常に冷たい状態が続くことは辛いですよね。 動けばいいとわかってはいるし、暖房器具を備えればいいことも承知しているし、温かい飲み物などで改善しようとする努力もこれまでいくつもトライしてきましたよね。他にもビタミン剤や漢方など、様々なアプローチを試みた方もいらっしゃるかと思います。 この種のお話は、まさに千差万別でありますので、あの人は合ったみたいだけど、私には合わない。そんなことがよくよくあります。ですので、もし、上記の内容を行ってみたけれども、何の変化もなかった方は、これからお話しすることをまたご自身の実践生活の中に取り入れられてみてください。もしかすると、新たな気づきが起こるかもしれません。その観点はたった1つです。 冷えを改善するためのたった1つの観点 「温めるべき部位は体幹」 さて、冷え対策として代表的な方法として、「足首、手首、首」を温めると聞いたことはありませんでしょうか?末端部分の”首”といわれる部分をあたためることによって、体温が外に逃げないという発想ですね。これは、多くの人も、確かに!と頷けるかと思います。ですが、血液の流れの出発地点は心臓です。この心臓部分が冷え切っていたら、そこから最も遠い位置に血液が送られるときにはもうキンキンに冷たくなってしまっているはずです。お風呂の冷めた湯を、頑張って保温してもあまり意味がないことと同じです。 そこで、まずもって、おさえていただきたいことは、「体幹を温めておくこと」です。心臓はまるで体の”炉”のような存在です。この炉がしっかりと温まっていないと、体の末端に向かう熱い炎も充分な力を持てません。囲炉裏や、暖炉の中心にある炎が元気でなければ、そこから放射される暖かさも弱まりますよね。同じように、私たちの心臓がグラグラと燃えていなければ、全身に送り出される熱も不足してしまい、手先や足先が冷えることにつながります。手足の四肢は、まるで暖炉の周り(離れたところ)にいるようで、心臓から発せられる熱を待ちわびていると言えます。ですので、この中心部を温めること、これが何よりもおすすめです。基本・根本を抑えた上で、他のあらゆる方法も活きてきます。つまり、このベースができた上で、「足首、手首、首を温める」も活きてきます。 特にこの時期、ダウンベストなどは、軽量でありながらも保温性が抜群にいいので、素材を選ぶという視点も忘れてはなりませんね。私も外でのランニングには、これ専用のベストを一枚羽織りますが、これがあるかないかで気温の感じ方が全然異なってくるのです。 さて、以上はデスクワークや自宅にいるときにもおすすめしたいポイントでした。 今日のお話は、「温める」という発想において、基本となる土台部分です。この土台がきちんと定まっていれば、その他のアクションも効果性を発揮してきます。みなさんが、いつもの冬よりもちょっと暖かく、穏やかな生活を送れることを願っております。 それでは、お互いに体調には十分に気をつけながらこの冬を穏やかに過ごしていきましょう。 春の到来を楽しみにしながら、この冬も楽しんでいきたいですね! Navigate 早田 皆様へ いつも、ナビゲートのホームページへお越しいただきましてありがとうございます。 2024年が皆様にとって健康と幸せで溢れる日々となることを、心よりお祈り申し上げます。 本年も変わらぬご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いいたします。 さて、今年もNavigateでは運動・食事・睡眠の3大要素を、一人ひとりのお体の状況(さらには仕事、私生活まで)とニーズ(目標)に合わせたものとして提供していきたいと思っております。 世の中に溢れる情報は正しいものも多いのですが、それがあなたの体に合うのか?さらに、あなたの願いと合致するのかどうかは精査する必要があります。世界中で誰かのことを思って日々研究をしている人たちの素晴らしい情報と叡智を、私が皆様への"橋渡し"として機能していければと思っております。その方々の知識と想いを皆様へ繋げて、その橋の渡った先にある、あなただけの新しい景色を存分に味わって頂けることとなれば、それは私にとってもトレーナー冥利に尽きます。橋はかかるだけではなく、わたってもらってこそ価値があります。ですので、渡ってみたいと思ってもらえるような橋であるためにも、私も日々精進して参ります。 (さて、昨年末にこれからの向こう3年間を活動していけるための資格も更新しました) 皆様をお出迎えする準備もバッチリです! 余談ですが、私は長崎県出身の身でもありますので、長崎では有名な「眼鏡橋」(東京:日本橋、山口:錦帯橋と並ぶ日本三名橋!)のように、土台が安定した、見た目も美しい?橋になれるよう頑張って参ります。皆様のご通行、お待ちしております。
2024/01/09 パーソナルトレーニングスタジオ Navigate 代表 早田 航 昨日、代表者挨拶のページを追加し、改めて、Navigateが目指す方向性というものを検討していきました。文字を書きながら思考が整理されるということは、皆さんもよく体験されることと思います。
さて、ここで最も込めたかったメッセージは、「私たちは必ず、いつからでも、変われる」ということです。その変わるための最も大切なことは、いつもどこかにあった(胸の内に秘めていたはずの?)願いに、耳を澄ませるということです。そして、それを強く願うことが重要なように思いましたので、それがどうにかこうにか伝わってくれ、または、いつか伝わって欲しいという思いで書き綴りました。 そんなメッセージを代表者挨拶として書き留めた翌日、ふと手元にあった本をパラパラとめくると、まさにデジャブとでもいうような言葉が目に留まりました。きっと、その書籍の中から私の目の前に飛び出てきた言葉は、すでに自分の頭の中に概念として、言葉として埋め込まれていたから反応できたとも言えそうですが、アンテナが立つということはこういうことをいうのかと驚きました。 その本は、「西田幾多郎」の「善の研究」という哲学書です。私たちの目の前に広がる世界は確かにそこにある世界ですが、それと同様に、その世界は私たち一人ひとりの心の中にも広がっている。と、私には受け取ることのできるの言葉が書かれてありました。 そして、その内側の可能性にしっかりと意識を向けて、それに合致する人生を送ることが大切であり、その「合一」の人生こそ、自己の価値を最大限に感じることのできる行為だと。 思考と行動の一致を説く話は多いですが、自身を取り巻く目に見える世界と、自分の内側に広がる世界との一体化を説く話はなかなか聞きませんよね。 さらにそこから、私は、その為には「心身の一致」も大事だと思考を広げてゆき、トレーナーとしてのこの仕事の意義深さに今一度触れることができました。身体と心が合致していると、自分の内側に広がる可能性を感じやすくなるのではないだろうかとも。つまり、「一」(イチ)です。自分の心に嘘をつかないだとか、諦めないとか、信じるだとか、そういったシンプルな思想が肝心なように思えたのです。 そして、それはいつから始めても全く、全く、全く、全く遅くないとも感じています。それは自分自身にも当てはめています。もし、誰かと比較して、何かを考え始めると心に余白がなくなってしまいますし、自分の内側にこそ最も広いスペースがあるんだ!とイメージすると、ふと、心が楽になるような気がします。 さて、そのようなことに思いを巡らせると、その反動なのかどうかわかりませんが、トレーニングの情報を欲してくるので、今からまた、THE 筋トレを学んでいきたいと思います。 “神は宇宙の外に超越せる者であって、外より世界を支配した人に対しても外から働くように考えることもでき、または神は内在的であって、人は神の一部であり神は内より人に働くと考えることもできる”(善の研究, 第4編, 第2章, 宗教の本質) - 西田幾多郎, (1950), 善の研究, 岩波書店 - 2023/12/05 対人支援にしろ、自己研鑽にしろ、私たちは自他ともになんらかの目標を掲げて、またはそれになることを見据えて日々を過ごしていくことが多い。その時に、将来の目標を達成したことを夢想しながら、自らの心に火を灯したり、まだ見えていない景色を描写して他者をモチベートしようとするが、それが現在地と目標地点の2拠点からの発信でないとうまくいかないことがある。
目標地点と現在地点のギャップを埋めるための行動ばかりに焦点化することは現実じみた話に傾倒してしまうが、目標地点から見える景色ばかりを伝えても単なる想像に過ぎないと思えてしまう。あるいは、それはあなただからできるのよと話が着地してしまう。 いずれも、何らかの目標を掲げているひとでないと成立しない話ではあるが、留学を例にすると、留学を検討している人を前にして、試験、費用、移住、仕事など、確かに乗りこなさないといけない話ではあるが、それのみをこなすことを後押ししたとしても、響かないことが多いのではないだろうか。まずは、異国の地に足を踏み入れ、そこでの風を浴び、興奮と不安との感情を存分に味わえることを期待してもらえることを共有することが先決だと思う。好奇心を掻き立て、留学というアンテナを立ち上げ、電波をキャッチできる状態にすることが、建設的なアプローチだと思うのだ。 そのほかの例としても、パーソナルトレーナーであれば、クライアントから目標をヒアリングしてすぐに行動に移そうと意気込んてしまえば、それはあっという間に失敗してしまう。初手として大事なことは、まずはそれが達成できたことを(願わくば同じ景色を見ていたい)想像してもらうことだ。それも手を抜かず、ないがしろにせずに、ありありと鮮明に。そして、その時にこう聞くべきである。「それが達成した時、どんな気持ちになっていますか?」と。本当にそれが実現したことを寸分の疑いもなく、細胞レベルで感じてもらったあとは、「その感情は、あなたがこれから忘れてはならない気持ちです。目標達成までの期間、辛くなったり、自分を信じれなくなったり、あるいは、この目標を諦めるべき正当(そう)に思える理由を見つけてしまったときにいつでも思い出すべき感情であり、それはあなたの心に注ぐ最高の栄養となるのです。」これが整ったら、ほぼ達成である。 さて、またはクライアントを見極めて、「あえて、アクションプランを提案する場合」もあるであろう。これには以下2パターンがある。 1つは、遠い景色、山の頂上からの景色を想像してもらうことなしに、山登りを始めていくパターンだ。どこに登るのか登っている方もよくわからないが、「何か登り始めたい」という思いで溢れている状態である。これはある種、まずは始めることができたという成功体験を積みたいとも捉えることができる。または、次に控えている大いなる目標に向けた、経験を蓄えている時期である。結局のところ、ここでは真の目標の設定や、その達成の現実度合いよりも、ひとまずは小さな達成感を味わって頂くという姿勢が求められる。そちらの方が、(長い時間を共有できるという前提ではあるが)次の大きなステップを力強く踏み締めることができる。 他方、もう1つのパターンは、今掲げている目標はもうこれまでも十分に検討してきたものであり、機が熟しに熟しているというパターンである。その場合、あえてアクションプランを提案することもある。それが本当にそのクライアントが望む目標であった場合、そのようなアプローチでうまくいく人は、そもそもそのトレーナーのスキル云々ではなくても成功する。さらに言えば、「情報だけ」でうまくいく。何をアクションとすれば成功できるかどうかの”技術的な課題”、あるいは”情報”をキャッチするだけで良い(そこにも何の情報をキャッチすれば良いかどうかのリテラシーが涵養されていることが条件にはなるが)。ここでは、やる気はあるがやり方がわからないという空回りを未然に防ぐような、考え抜かれたプランが肝要となる。 さて、トレーナーの醍醐味としてはどのパターンでも自分の技量と器を反映できるとても前のめりの状況ではあるのだが、ここ最近の個人的嗜好であれば、「最高に時間を要することになると分かりながら、その向き合っていく過程をどれほど豊かな時間と思えるかどうか」の”関わり合いそのもの”を好物としている自分がいる。 もう一度話を戻せば、「まずは一歩目を」というクライアントの感情は、自分自身が本当にそれを実現したいのかわからないけれど、何かアクションせずにはいられないことや、ひとまずの目標と定めて様子を伺いながら”一歩踏み出したい”と思っている。 もしかすると、その時に、これではなかなか結果が出ないのではないか?と支援者側は思ってしまう(以前の私はそうであった)。結果を出さないとモチベーションも上げることができずに離脱してしまうと。断言できるがそれは違うとあの時の自分に言い聞かせたい。疑うんじゃない。信じきれと。結果を重視し、結果を褒め、結果を最大の価値としてしまうトレーナーは大きな過ちを起こしていることになる。あるいは、結果こそが全てと思っていると、(結果を出すことが、自分を認めることができる唯一の指標であると思っている)クライアントと共倒れしてしまう。大事なことは結果ではないからだ。「結果が出るプロセスを育てていくマインドにセットアップしていくことが本質的である。」 さて、そうは分かってはいるけど、一緒に海に飛び込むことができるかどうかが、トレーナーとしては大事なように思える。すると、クライアントとしては、また別のフェーズに移ったときに、あのときトレーナーは私を信じてくれた。そう思ってもらえるかもしれない。その一巡した後の「伴走」が、とても力強いものになる。じたばたする期間は人それぞれであるし、じたばたしてもらうことが、土台固めの大切な期間となる。それをトレーナーは楽しめるかどうか。一緒にその場足踏みをしてその時間も大切に味わえるかどうか。色々あったけど、私たち、一緒に頑張ってきましたよねと。結果ではなく経過。一回で決めようとせずに、とても用心深く見極めて、しかし同時に、捨て身の気持ちも持ち合わせて。しかし、起き上がり方はその場の即興であるが(それができる自分であるとも信じて)、それに委ねるという表現が適切かもしれないが、徹底的に攻めている状態でもある。 2023/11/21 Navigate 早田航 みなさんこんにちは。ナビゲートのソウダです。 今回はトレーニングプログラム作成について、解説動画としてご紹介致します。 少しマニアックな内容に傾倒してしまっているかもしれませんが、私が最もお伝えしたいことは、今、世界を席巻している「アニマルフロー」というプログラムは素晴らしいですよ、という内容をお話ししています。そして、その「トレーニングメソッド」にどのように私が魅了されているかを淡々と語っていく内容となっております。 現在、皆様が取り組まれていらっしゃるトレーニングプログラムをアップデートする際などにぜひともご活用いただける内容ではないかと思っていますが、(若干、トレーナー向きということもあり)少々難解な部分も出てくるかと思います。 どうかお気軽にお目通し頂けますと幸いです。 現在の時刻は13:56となっていた。このトロべローグもこれで最後にしようと思う。
先ほど、ホテルの清掃の方がルームサービスに来てくれた。そこで、取り掛かったいた読書とリサーチノートの制作を一度止め、邪魔にならないところに移動して、窓から外を見ていた。英文学術書の読み方と、リサーチノート(研究ノート)の取り方、それに付随する価値ある暗黙知を多く学べたのもこの旅が始まりだった。きっとではなく、革新として、これらは私のライフワークとなるだとう。 あっという間に、部屋がもう一度新たな状態へと整った。といっても、ゴミを捨てていただくことと、タオルの交換のみだったので早かったのだろう。 そして、読書に戻る前に、このタイミングでふと思い立ち、今一度、文章を書き始めることになった。思えば10日前の長崎空港でもそうだった。ふと思い立ちふらっと始める。これまでにも、このような感じで多くのことを始め、多くのことを忘れ去ってきたように感じている。 今朝は早朝からただただ2時間ほど音楽を聴いて、これまでの旅を振り返っていた。真面目に黙々というよりも、自由連想的に思い詰めることなくポツポツと。そうこうしていると空腹感が出てきたので、のそのそと朝食会場に向かっていった。8:00~10:00と聞いていたので、ちょうどいい時間だった。しかし、私は朝食を予約していなかったようで、係の人から、予約していなくても大丈夫ですよと伝えてもらったが、ちらっとメニューを見て、もしかすると今は外にでて調達する気分かもしれないと思い、ホテルを後にした。なんせ朝からずっと固まっていたのだ。身体も思考も。散歩や気分転換になっていいなと思った。時間もほどよく、8時を回ってお店がオープンする時間と重なった。と思っていたが、パン屋やカフェといったところは全く空いておらず、今回の旅では何度もお世話になったスーパーマーケットのAlbert Heijinに立ち寄った。こちらは8時OPEN。出来立てのパンとコーヒーとオレンジジュースを脇に抱え、ホットコーヒーを飲みながらホテルまで戻った。早朝は気温が9度くらいだったので全身に染み渡る。 すると、気がつくと今が14時ときている。何をしていたのだろうか。頭のみを動かしたことは随分と久々のようだ。いや、こんなこと、かつてあっただろうか。脳に負担がきているということではなく、ずっとクリアに思考は周り続けていたにもかかわらず。 さて、今回の旅で、私はきっとアムステルダムの街並みを見にいくことはない。なんせ、もう旅に大満足をしてしまったからだ。一度で吸収できる栄養は限られている。満腹なのだ。 なかでも、私の旅が実りあるものになったのは、ロッテルダム-フローニンゲンの間であった。ロッテルダムではアニマルフローの講習会を受け、世界中の人々と共に学び合い、励まし合うことの喜びを全身で感じ取れた。トレーニングはこういうところがいい。ただの座学ではなく、身体感覚として参加者全員が共感し合える。チャレンジを応援し、成果にかかわらずその姿勢を褒め称える。最高の世界。そして、上手くできるまできちんとサポートし続ける。待つということ。待つにもあらゆる次元があり、私の知らない風景をまじまじと見せてもらえた。トレーナーというくくりだけではなく、私個人の人生にも大いに影響を与えてもらえる時間となった。 そして、ロッテルダムの滞在時には本当に多くのことを語らせてもらい、学ばせてくれる時間に恵まれた。以前よりお世話になっていた、現在オランダ在住の知性発達学者の加藤洋平先生と共に過ごせた時間はどれだけ感謝の気持ちを伝えても終わることはない。むしろ、私は、与えてくださった学びの広さと深さに対して、まだ、感謝するところに気がつけないほどである。きっと、私が感知していない部分でのご配慮と無条件の愛を注いでくださっているはずである。こんなこと、自分にできるだろうかと考えたとしても、想像できないほどに。きっとこの感謝の気持ちは、私が成長できたときに初めて感じることができるのではないかと想像する。その時に私は何を還そうか。自分自身が世の中にどう貢献するかなのか、または教わったことを他者に伝えるのか、そんなことはまだずいぶんと先にふと思い立った時に思案していくものでいいのかもしれない。まずは、自分が爆発的に成長しなければならない。そして、そんな成長に対して、楽しいことなんですと思わさせてくれた。自分の学びと成長がこんなにも楽しいものだったのかとは、自分自身が知らなかった。学者であり、実践者であり、人格者である方とともに過ごせた時間は、私の心と霊性にも刻まれているはずだ。きっと、ここでは、学んだことの具体例を挙げる必要はないと思う。それは、私の実践でどこかに波及していくことのように思えるからだ。 朝にアルバートハインで購入したコーヒーも、あっという間に冷えてしまった割には、案外美味しく感じられていた。しかし、とうとう飲み切ってしまった。次のコーヒーは明日の朝まで楽しみにしよう。 日本も冷えてきているのだろうか。 Fin: Amsterdamより溢れるほどの感謝と尽きることのない愛を込めて。 アムステルダムの朝を迎えている。朝の7:08であるが、ここでも太陽はまだ登っていない。きっとあと1時間ほどなのだろう。
昨日はホテルチェックインに合わせてフローニンゲンからロッテルダムに入り、ホテルでは一息つきながら、友人と電話をして旅の思い出を振り返り共有した。そして、アムステルダム中央駅にむかって歩いて外に出た。 今回の最大のお目当てのゴッホ美術館は残念ながら事前予約が必要であって、私の滞在時の分はすでに売り切れとなっていた。中でも「ローヌ川の星月夜」の作品を一度見ておきたいと思っていたが、まあ仕方がない。こういうことがあると、またこの街に吸引されるように、いつかまた行こうと思えるから。美術館のエントランスの前に、屋台のような出店があって、そこで縦300mm横450mmのミニポスターのようなものを購入した。とても分厚い厚紙にプリントしてあると表現すればよいだろうか。 さて、そんな「ローヌ川の星月夜」の収蔵場はなんと、パリのオルセー美術館だということも今分かった。美術館に対して何のスキルもなくただの好奇心で赴く人は、ゴッホの作品なのだから、ゴッホ美術館にあると思い込んでしまった。それにしても、オルセー美術館をなんと適当に見ていたことか。ついこの間ぷらぷらと訪れたではないか。今思い出したが、そういえば、特別展示が1F奥の部屋で開催されていて、長蛇の列をなしていたが、あれだったのか。美術館めぐりとはこんなに難易度が高いものか。 「ローヌ川の星月夜」について簡単にネットサーフィンを試みたのだが、この絵に対して驚きの調査がなされていた。この作品の中に出てくる星は本当に見えているのだろうか?と。面白い視点を持った人がいた。ほほうと、興味深く眺めていると、この時期、この場所で描かれている星は、本当はない。見えていないはずだという。天文学を駆使して星の動きを観測すると、そのような配列になっていないとまで記述があった。1つずつの星の名前まで振っているから入念な調査がなされたのであろう。しかし、ゴッホが見えた、ゴッホが表現したかったとすればそれだけでいいような気もするが。これも私の一意見であり、そちらも一意見。どちらも主張したいことがあるのだ。みんなそれぞれ言いたいことが様々にある。 しかし、ゴッホがあの絵を描いた心情に想いを馳せると、繰り返しの意見になるが、見えていたのだと思う。または、見たことがある世界をもう一度描いて、表現をしたかったのかもしれない。いつでもその見えていた景色と繋がっていることを実感したかったのではないか。それは、心細い感情とも形容できると思う。そこを描いて埋め合わせをするような。だから溢れる思いでそう表現したい。きっと絵画を通して、見たことのある、あるいは見ようとしていた世界を味わいたかったのだろう。絵画はその窓口になる。25歳まで牧師を目指していたというからなんだかまた理解ができるような気がする。しかし、これも私の一意見であり、ゴッホさんに聞かないとわからない。だからいつまでも考えられる。 “I dream my painting and I paint my dream.” “私は絵を描く夢を見る、そして、夢を描く” ― Vincent Willem van Gogh 今朝も最高の朝食だった。
朝食会場は、フロント横に2手に分かれており真ん中にコーヒーメーカーやフレッシュジュースが並んでいる。 今日のテーブルはどこにしようかと悩んでいたが、夢の中にでてきた窓際の席に腰を下ろした。 そこからはちょうど外を眺めることができ、雰囲気も良い。オレンジジュースを2日続けて飲んでいたので、キャロットジュールをグラスに注ぎテーブルに置いた。大きな丸い皿に、何を取り入れようか考えていたが、今回はライ麦パンを自分の好みの厚さにスライスし、トマトときゅうり、スライスチーズをサンドしてみた。そこで、昨日食べたチーズとは違うものをチョイスしていることを思い直し、きっとこれは、機能食べたものとは、比較的塩味が弱いだろうと思い、薄くスライスされて綺麗にロールされている生ハムもメンバーに加えることにした。生ハムに塩味が効いていることを予想したのだ。とはいえ、このロールの塊がそのまま口の中にくることを思うとちょっとインパクトが強いと察知し、手で広げることにした。それをもう一度二重にたたみ、2枚を重ねた。 朝食にヨーグルトは欠かせないが、中でもクルミとナッツを砕いて入れるとなお最高だ。そこに少しのハチミツを垂らしてみる。Netflixの「デヴィットベッカム」をみてもっぱらはちみつにはまっている。そこには冒頭シーンでベッカムがはちみつを作っている場面が出てくるのだが、それを見て以来、こっちにきてからは朝食では毎回とっている。とはいえ、その映像を見ていなかったとしても、目の前にあったら、毎回選んでいるかもしれないが。 最後にたまご類をゆでたまごかスクランブルエッグにしようか考えていた。ゆでたまごはこの旅でも何度か続いていたので、スクランブルエッグを採用し、そこに、別の種類のチーズを手で細かくちぎって暖かいスクランブルエッグによってチーズが溶けてくれることを期待した。 ようやく席に戻り、朝食をとりはじめた。サンドは想像よりも美味しく、単品で食べるよりもなぜサンドになると美味いと感じるのか不思議に思いながらむしゃむしゃと食べた。チーズの塩味は控えめで香りは強く、食感も程よい柔らかさがあって、パンの硬さともマッチしている。トマトの酸味も、チーズでこってりとした感じのところにいいサブ的役割を発揮している。そして、さすがは生ハム。噛み切りやすくもきちんと味の主張があってよろしい。 オレンジジュースよりもキャロットジュースを選んだことがより食事全体のバランスをとってくれた。するすると飲みやすく食事の味に集中させてくれる。 だが、残念だったことにスクランブルエッグとチーズがどうもピンとこない感じであった。まあ、美味しいことは美味しいという程度であって、半分くらい食べ進めていた。そこで忘れていたことが。ここにはブラックペッパーをちらすのであった!あっと思い卓上にあるそれを手に取り、ごりごりと回すと砕いた後の新鮮な香りがテーブルに漂った。スプーンで大胆にすくって食べると、美味し過ぎて倒れた(比喩ね)。 この食べ方は、今回の旅でご一緒させてもらった加藤先生に教わったことだ。さすがはオランダ歴9年のベテランチーズマスター。教わることは豊かなことだと思い、感謝をし、ダブルエスプレッソを手に取り、自分の部屋に戻った。 現在: Groningen -旅のスピードが加速している。ここフローニンゲンで過ごした3日間は言葉の通り光のように過ぎ去った。-
どこを切り取ってもユニークな体験と、深い学び、そして絶対的と呼べる人生への強い自信を手に入れて、この街を後にすることになる。しかし、どうやらまたこことは縁がありそうだとも感じている。街並みひとつ、買い物ひとつ、ホテルの滞在ひとつをとってもすべて流れるように自分の身体にそっている。そっているというのは板についているという意味で表現したいのだが、その場合は、他の何かを自分のものにしたという自分が主軸な印象を持った。しかし、ここで感じていることは、この街に自分が溶け込んだという状態の方が近い。初めからそういえば良かったか。 この後、朝食をとり、列車に乗ってアムステルダムへ向かう。 2時間くらいの旅だと思う。 ーーー 今調べてみると3時間であった。 となるとホテルのチェックインが2時だからその時間を目指して今滞在しているフローニンゲンのホテルを発てばいいだろう。それまでは、そんなに多くはない荷物を簡単にまとめて、本でも読もう。そのときに朝食会場からダブルエスプレッソを入れたコーヒーマグを持ってくることを忘れないようにしなければ。今は6:43。朝食は8時くらいでいいかもしれない。 ホテル滞在時は朝にしっかりと食べて昼はスキップし、夜は朝食会場から頂戴したりんごやラフランス、オレンジやバナナなどをその時々に置かれているものに応じてとっている。とにかく思考をクリアにしておきたい。あらゆる知覚が鋭敏でいることが感じられるから。 そうはいってもマーケットで何か買いたいなあと物色している自分はいた。しかし何も食べる気はせず、どんな物が置いているだろうという具合でウロウロしていた。街の中心部と思える広場に何十軒とテントを張って各お店が営業をしている。そこにきている人は実に多様で、このマーケットが街全体の人に利用され続け、愛されていることを感じ取れる。コーヒーショップもあり少しそそられたが、何せ何も入らない。ひとまずここをさろう。 広場から四方八方に伸びる路地の、一本の道をなんとなく決めて、そこへ進むと、そこにはオランダらしい古くからそおこにあるのだろうと思わされるショップがあった。チーズ専門店である。 そういえば、ホテルではやたらチーズが大量に、しかも種類豊富に置かれていると思った。そうか、ここはオランダだったかと納得した。ロッテルダムからフローニンゲンまでの列車の旅でも緑しか見ていない。しかも、オランダは山がない。見渡す限りの平野が広がっていた。目の前の視界のスペースが大きくひらけて、空を近く感じる。これは、街のつくりとも繋がっていた。街全体において、3階建てまでの高さ制限があり、自治体がうまく統制を効かせられているというか、機能しているともしれた。法律ではなく自治体のパワー。規則じゃ無いけどモラルの力。ひとつの街は色々な集合意識によってバランスを保っているのかもしれない。 さて、朝食までまだ時間がある。 読書に移ろう。 現在: Groningen-Amsterdam ロッテルダムで迎えた朝は美しかった。
朝食の時間7:30には小雨が止んでまだ日が登る前だと想像できた。そういえばヨーロッパは太陽がのんびりと出てくるものだと思った。この日は午後の13時からアニマルフローの講習会があり、そのインストラクター養成講習会に参加する予定がある。ホテルから朝食会場までは歩いていき、おそらく20.30分ほどで会場に到着した。 総勢25人くらいの参加者が各国から集い自らのスキルアップや情報交換に努めていた。 今回のプログラムの内容は日本にいるときにすべて、動きとしては習得していたので安心して受講できた。アニマルフローの動きは、柔軟性・可動域・筋力・持久力を一挙に鍛えることができるので、今後の私のライフトレーニングとして導入したく、一度、システマチックに学んでおきたいと思っていたのだ。もちろん、ジムやオンラインでもこのテクニックを駆使し、フィジカルの新たな開発を提供していきたいとも思っている。 クラスでは、いくつかの小グループを作り、自分が学んだ動きを他者にきちんと伝えることができるか?という構成で進んでいった。クラスに参加していた人たちは、まさに学びに対してオープンであり、その先生役を務める人にまずは挑戦を進め、つまづいたら少し手を差し伸べ、最後までやりとげたら、心からの大きな拍手でそのチャレンジを讃えるというシーンが何度もあった。アニマルフローという私たちのスピリットを感じさせてくれるトレーニングは、参加者とはいえ、それぞれのホームに変えるとプロフェッショナルとしての指導者の顔がある。きっと、この人たちはそれぞれのクライアントの人たちとも暖かいコミュニケーションとプロフェッショナル意識を持っているのだろうと感じた。プログラムの内容もさることながら、私が暗黙知として学べた最高の知識はここにあるのかもしれない。 瞬く間に2日間が過ぎ、ロッテルダムから、フローニンゲンへ列車に乗って移動した。 現在: Rotterdam-Groningen |
Author Wataru Soda Archives
7月 2024
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